cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

ヴェネツィア小話 カフェ・クアドリにて

f:id:fukarinka:20210809000132j:plainナポレオンが「世界の大広間」と絶賛したサンマルコ広場

今では朝から晩まで観光客と鳩が大勢集う世界屈指の観光スポット。 そう、観光客もさることながら鳩の多さも半端ないのです。広場を歩くと鳩の群れが波のようになって一緒に進みます。文字通り「一歩間違えれば」鳩を踏んづけてしまうような距離で鳩の群れと歩き進む、そのとき頭にうかんだ その現象は名付けて「鳩の絨毯」。

僕は鳩を引き連れ広場の中央まですすむ。そこで立ち止まりサンマルコ広場をぐるりと一周見回してみる。

四角い台形の形をしたサンマルコ大広場の3辺は整然と並ぶ円柱に囲まれる列柱廊、それが切れた1辺の隅にオレンジ色のきれいな鐘楼がそびえ、その向こうにオリエンタルな雰囲気のサンマルコ寺院が構える。一定のリズムを静かに刻む列柱廊の「整然」をかき消すようにあるサンマルコ寺院のビザンチンの様式美。こうして広場の中央からサンマルコ寺院の方を向いて立っていると、まるでこの広場が見事な劇場のように思えてくる。ナポレオンが絶賛したり、鳩はともかく世界中の人が惹かれて集まってくるのもうなずけます。

 

広場をぐるりと見回すと、いくつかオープンカフェがあってバンド演奏をやっている場所がある。そのうちの一つでひと休みをすることに。そのとき好きな音楽を演奏しているカフェを選んでテラス席のテーブルに着きました。

そこはカフェ・クアドリ(Quadri)、1775年の創業の当時は本場トルココーヒーを飲ませる店として評判だったとか。1720年創業のヨーロッパ最古のカフェ・フローリアン(Florian)とはちょうど向かいに位置します。フローリアンは300年、クアドリは250年の歴史を持つ老舗カフェ。僕の主観で申し訳ありませんが語感的に「フローリアン」は素敵に響き「クアドリ」って面白く響くのですが、ともに店主の名前だそうです。

サンマルコ劇場(広場)を眺めながら、贅沢に音楽を聴きながらエスプレッソをすすります。サンマルコのカフェでは飲み物代のほかに「音楽代」をとられる。もともとエスプレッソも結構な値段でえらく高いひとときですが、この景色と音楽と1775年から続くカフェということでなんだか許せてしまいます。

ステージで演奏するバンドはピアノ、ヴァイオリン、アコーディオン、ベースの構成。他のカフェ含めてサンマルコ広場で聴こえてきたのは主に新旧映画音楽、その他jazz、ポップス等々。ほとんど僕が知っている曲ばかり。ちなみにエスプレッソ飲み始めに始まったのはオードリーヘプバーン主演の「ティファニーで朝食を」で流れる名曲「ムーン・リバー」。知ってる好きな音楽が旅先で聴けるというのはとても落ち着きます。

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待てよ?

ここで演奏される曲はほとんどアメリカの音楽だ。イタリアのヴェネツィアにいることを思うとちょっと複雑な心境になる。おなじ映画音楽でもたまに「ニューシネマパラダイス(イタリア映画)」が聞こえてくるとホッとする。決して悪いことではないけれど、なぜこんなことになっているのか?

 

以下、塩野七生著「イタリア遺聞」より。

ゲーテが訪れた18世紀ヴェネツィアと現代の違いについて。

「ゴンドラに乗りながらゲーテはゴンドリエレの歌うタッソーの歌を聴いて涙が出るほど感動できたけど、われわれは戦後のアメリカ人観光客の悪趣味のおかげで、ヴェネツィアにいながらナポリ民謡を聴かされ涙も引っ込むほどしらける。」

 

僕はアメリカの音楽も映画も嫌いじゃない、というかむしろ好きだけど、旅先では旅先の文化に浸りたい。なんか現実に引き戻されてしまうようで、やはりヴェネツィアではヴェネツィアに浸りたいんですけどね。うっかりそんな矛盾に気付いてしまって、せっかくのいい気分がモヤモヤした気持ちに変わってしまった。

そういえば、スイスのツェルマットのお祭りで演奏されていた音楽もほとんどがアメリカ音楽だったっけ。近代史の中心は大国となったアメリカだったが故、観光客といえばアメリカ人という時期が長かったからなのか、はたまた映画や音楽の大衆性の高さによるものか、その両方に理由がある気がする。

250年つづく老舗のカフェでエスプレッソを啜りながら、そんなもやもやを考えていたことを思い出して、またもやもやした気持ちが蘇ってしまいました。

 

P.S. このときの宿の一つ向こう側の通りにサイケなカフェがあって、そこから聞こえてきたのは日本の渋谷系音楽でした。異国の地で知ってる音楽はホッとするんですけど。ね。

 

 

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ヴェネツィア小話 リドの海岸にて

f:id:fukarinka:20210703223432j:plainリド島の海岸で初めてアドリア海を見たときのこと。

潟とは違うクリアな海とヴェネツィアの他の島にはなかった砂浜、水平線の遠くにはたくさんの大型船。島のこちらとあちら、わずか数百mしか離れていないのにまるで別世界でした。初めて見たアドリア海はなんだかとても新鮮な海でした。

このときはもう9月の終わりで風が冷たく、砂浜には犬と散歩する人、ジョギングする人がちらほらいるくらい、ほとんど自分ひとりだけのプライベートビーチの状態でした。

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しばらく海を見ながらぼーっとすごしていると海の中に何か動くものがあった、ような気がした。あれ?と見てみるのだけど、やっぱり特に何もない。気のせいだろうとまたぼーっと海を眺めていると、次の瞬間、浮かんでいたブイから2本の手がにょきっと生えてきた。

ブイが浮かんでると思っていたものは海水浴してるおじさんだった。この寒いのに。

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おじさんはその後、砂浜にあがりどこかへ去っていった。

 

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ヴェネツィア18 島々〜リド

f:id:fukarinka:20210703223432j:plainリド島 (Lido)

毎年9月にヴェネツィア映画祭が開催される場所です。19世紀からリゾートとして発展し、ヴェネツィアの中では大きな島で車も走ります。

またリド島はラグーナの一番外側に位置して、全長12kmにもなる細長い島のフォルムは外海からヴェネツィアを守っているかのようです。

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ヴァポレットは海の標識に沿ってラグーナを行き、もうすぐリドに到着します。

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島に降り立ち、リドを散策します。でも、リド島は冒頭に書いた通り、車が走るリゾート地。ふつうの道と車、普通のヨーロッパの街がリドにはありました。ユメのようなヴェネツィアを離れて、現実世界に戻ってきてしまったような感覚だったのを覚えています。ヴェネツィアと言いながら全然ヴェネツィアの風合いが感じられなかったので、ほとんど写真が残っていません。

 

数少ない写真がここから下。。。。

リドの街角から運河の橋からサンマルコ広場を望む。なんて贅沢な景色だろう。。。

このとき季節は9月終わり、観光シーズンが一旦終わり、島はびっくりするくらいとても静かでした。

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なんだかユメの国ヴェネツィアに来たのに、つまんないなあ。。と思いながら僕はそのまま島を横断し、反対側のビーチに出ました。

 

ヴェネツィアの他の島との最大の違いがここにありました。

リドの向こう側の海外にはラグーナ(潟)とはまったく違う、海が、アドリア海が、地中海がありました。当たり前なのだけど、これはアドリア海。遠くには大型船が何隻も浮かび、砂浜には地中海からの波がよせる。初めてのアドリア海はなんだか感動的でした。

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ラグーナのちょっと閉鎖的な環境とは対照的な外海・アドリア海のこの姿はとても開放的です。

昔まだ小国だった頃のヴェネツィア人が自国のありようを考えたときに、きっとこの海を見てこう思ったに違いない。この向こう側に広がる広大な世界に向けて乗り出そうと。

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 ほとんど人がいない広大なビーチで地元の自転車のおじさんとリュックを背負ってるから旅行者に遭遇。ここで会ったのはほぼ彼らだけ。そんなヨーロッパリゾート、静かなリド島でした。

 

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ヴェネツィア17 島々〜サン・ミケーレ

f:id:fukarinka:20210626115220j:plainサン・ミケーレ島 (San Michele)

レンガ造りの高い壁と糸杉の並木が立ち並ぶ、水際が特徴的なヴェネツィアの墓地の島です。

フランス占領下の1807年に、衛生面の問題から埋葬地をヴェネツィア本島や主要な島々から別の場所に置くことが決まります。そして歴史的に修道院や刑務所として存在してきたサン・ミケーレ島が墓地の島として選ばれました。

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サン・ミケーレ島ヴェネツィア本島とムラーノ島の中間地点にあり、ヴェネツィアにあっては珍しく四角く造成された島です。

 

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ムラーノ島に面した隅に教会があります。

このサン・ミケーレ・イニーゾラ教会(Chiesa di San Michele in Isola)は1469年に建設されたヴェネツィアで最初のルネサンス教会。

この教会の前の小さな広場がヴァポレットの停留所になっています。この場所以外は高い塀に囲まれていることもあって、ヴェネツィアの他の島とはずいぶん雰囲気が違います。

広場はとても静かでひっそりした雰囲気。観光客も含めて、ここが「墓地の島」であることは知られているからか、サンミケーレに到着時はヴァポレットの中も心なしかとても静かになるのです。

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ヴェネツィアの人が亡くなると、ゴンドラに乗せられて、ここサンミケーレに運ばれるのだそうです。もしヴァポレットに乗ってサンミケーレ方面に向かうとき、花束を持っている人がいたら、ほぼこのサンミケーレにいく人なのだと言います。

 

僕はヴァポレットの停留所で何か神妙な気持ちになり、停留所を出発してこの塀に沿って進むとき、とても美しいレンガの壁と糸杉の景色なのに、何かとても物悲しい気持ちになりました。

 

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ヴェネツィア小話 ムラーノ島ガラス工房

f:id:fukarinka:20210717192410j:plainムラーノ島でふと立ち寄ったガラス工房兼ヴェネツィアン・ガラス屋。

 ここではお客を前にルームライトの傘や、イルカの置物をジャンジャン作っていました。そのふいご捌き、細工の素早さは、それはもう見事でした。どこの世界も職人はすごいです。

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坩堝でどろどろにしたガラスを吹子の先に巻き付けぷーっと息を吹き、ガラスのタネを膨らまして、少しずついじくっては炉に入れてを繰り返し、段々と形を作り上げていきます。職人の手仕事はまるで魔法のようです。

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坩堝の中は1000度以上の高温。

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ガラスのイルカはお土産用として、お手軽な値段で購入できるお土産の定番です。たくさん売れるだけあって制作も比較的簡単。

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溶けたガラスを専用ペンチで引っ張って、重力で体をしならせて、ひょいひょいとあっという間に出来上がります。簡単とはいえその職人技をもって成せること。

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僕が見ていた短い間に何匹ものヴェネツィアン・ガラスのしかも「Murano」ブランドのイルカさんが出来上がっていくのです。電灯の傘もすごいけどイルカはイルカでシンプルでわかりやすく見てて、これまた楽しい。

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もう一つ、ヴェネツィアン・ガラスの工芸品。

これもいろいろな柄とカラフルなものがたくさんあって、とても楽しい。

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 太陽の光を透かしてみるとまた違った表情をみせてくれるのです。

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古代ローマですでにガラス工芸は発展していました。ヴェネツィアがガラス工芸を取り入れたのは7世紀とも8世紀とも言われるのだけど、本当のところははっきりしていないそうです。

その後、最先端の技術と職人をヴェネツィアに招き入れ、ヴェネツィアングラスは大きく発展します。ムラーノ島で職人たちは腕を磨き、地中海世界全体へ広がる貴重な工芸品へと進化していったわけです。

僕がここで見た職人の技は観光客向けで、真の職人技は島の奥深く、門外不出の技術として守られてきたのでしょう。

いつかまたムラーノを訪れたら、職人本気の作品を一つでいいから購入させていただきたい。。。

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ヴェネツィア14 島々〜ムラーノ

f:id:fukarinka:20210725152432j:plainムラーノ島 (Murano)

おなじみのヴァポレットでヴェネツィアン・ガラス(グラス?)の島に向かいます。

ヴェネツィア本島でたびたび起こるガラス工房を火元とする火災。これの予防とヴェネツィア伝統工芸の保護と技術流出を防ぐために、1292年にすべてのガラス工房とガラス職人はここムラーノ島に集められました。それ以来ここはヴェネツィアン・ガラスの島となりました。

*どこぞのホテルの味のある船がすれ違い。

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ムラーノに到着。

サンティ・マリア・エ・ドナート教会(Basilica dei Santi Maria e Donato)があるこのあたりにはヴェネツィアン・ガラス博物館もあります。

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運河脇にはガラス細工の店がずらりと並びます。立ち並ぶ建物はヴェネツィア本島のそれとちょっと趣が異なります。なんというか素朴さを感じるのです。

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小さな運河(Canallet)とムラーノの路地。

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水際の猫

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素朴な街並みが広がるムラーノ島

次はふらっと立ち寄ったガラス工房兼ヴェネツィアン・ガラス屋の話を。

 

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ヴェネツィア 13 海の足〜トラゲット

f:id:fukarinka:20210710012513j:plainヴェネツィアは海の都で主要な交通手段は船。運河や海には大小数えきれないほどの船が行き交います。そんな街の旅の友(移動手段)も、地下鉄でもバスでもトラムでもタクシーでも自転車でもない、船なのです。

 

トラゲット(Traghetto)

大運河(Canal grande)にかかる橋は3つだけ。なので所々で橋の代わりをするのが乗合渡しゴンドラ「トラゲット」。当時800リラで向こう岸まで連れて行ってくれました。

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ゴンドラのようなフォルムだけど、ゴンドラより大きめで太めの船体で、漕ぎ手は前後に二人。

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カナルグランデを行くほかの船やゴンドラに気を遣いながら、タイミングを見計らって行ったり来たり。その姿はなかなかおもしろい。

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 トラゲットの漕ぎ手のおじさん。この人も海の男。凛々しいですね。

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トラゲットは地味ながら、そのスタイルといい存在感といいヴェネツィアには欠かせない海の足。その漕ぎ手のおじさんから、一番ヴェネツィア共和国時代の海の男を感じ取れました。

 

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