2019-01-01から1年間の記事一覧
EUTSCHLAND ”ドイツ人は時計が好き” 初めて訪ねたドイツ、ミュンヘンの街を歩いた時のドイツという国の第一印象。 初めてのドイツは夜行列車で朝到着。早朝のミュンヘンの街を駅から市庁舎のあるマリエン広場まで散歩した。人気のないマルクト広場まで来て辺…
このブログの基になる、今はない cafe mare nostrumの冒頭に僕はこんなことを書いていた。 ******************************************************** 写真や文字でしか見たことのない、昔からの憧れていた街、建物、風景を探しに出かけるのが僕の旅のスタ…
今も昔も直行便で12時間。ヨーロッパまでの時間はあまり変わっていない。 今と昔、飛行機で大きく変わったことといえば、タバコとプライベートモニタとリコンファームだろうか? まずは、最大の変化「タバコ」。これは飛行機に限らず、世界的な禁煙の流れに…
エジプトの最後の女王クレオパトラ(7世)。 世界3大美人、絶世の美女と称されるこの人物は実際はどんな人だったのだろうか。 クレオパトラが生きた当時のエジプトは、ギリシア(マケドニア)系のプトレマイオス朝の時代で、地中海に面したアレクサンドリアを首…
紺碧の空とはるか彼方まで真っ白に広がる雲の平原。 とぎどき出会う空の姿。白と青の世界は僕の好きな空の姿です。 cmn.hatenablog.com
エジプトの人たちはどんな人々だったのだろう。 豪華絢爛のファラオの副葬品、ラムセス2世の巨像、ピラミッド。。。どれも桁違いの遺跡や遺物に目が行きがちになるけれど、所々でなんというかエジプト人の本質が垣間見られるような気がするんです。 心が和む…
1922年にイギリスの考古学者ハワード・カーターによってツタンカーメンの王墓が見つかりました。 王家の谷の他のファラオの墓と違い、盗掘者による被害が皆無に等しい、ほぼ手付かずのままの状態の王墓が唯一奇跡的に発見されたわけです。カーターはファラオ…
エジプト考古学博物館 (カイロ博物館)ができるまで 支配下に置きながらエジプト古来の文化を温存したローマ帝国が衰退して、エジプトがイスラム教国家になった時、古代エジプト文明は潰えて、いったん歴史から姿を消すのです。毎年のナイルの氾濫と砂漠の…
世界遺産やエジプトの遺跡などは人間の寿命程度の期間何年経とうがそれほど変わりはないのだけど、街の様子というのは随分変わる。何年か前にマレーシアのクアラルンプールに10年ぶりに行ったら、すっかり近代都市に様変わりしていた。中国のとある地方都市…
上野でミイラを見た。 小学生低学年の頃、父に連れられて上野の国立科学博物館へ恐竜の化石を見に行った時に、僕は初めてミイラに出会った。あの時の衝撃は強烈だった。初めてみたミイラの姿はちょっと刺激的すぎてしばらく頭から離れることがなかった。当時…
その昔、古代文明の遺跡は奴隷による強制労働で作られた物だというのが通説でした。 でも色々な考古学上の発見によって、ピラミッドもテーベの墓も強制労働によるものではないことがわかっています。エジプトに限らず、どこの国でも古代の一般市民の生活に関…
テーベのナイル西岸、神殿が建つ東岸とは対照的に、日の沈む方角である西側は死にまつわる施設が集められた死者の街と呼ばれます。 王家の谷 乾いた岩山に挟まれた寂しげなこの谷が王家の谷と呼ばれるのは、ここにたくさんのファラオ達の墓があるからです。 …
現代ルクソールと呼ばれるこの街は古代エジプト語でワセト、古代ギリシア語でテーバイと呼ばれ、考古学上英語読みでテーベと呼ばれます。なんか複雑ですが、ここでは考古学また、敬愛するインディ・ジョーンズ博士に倣い、テーベと記述することにします。 古…
東京に向かう飛行機の窓の外。 朝のサバンナの、草原にかかるモヤから木々が顔を出しているような、 神秘の湖で姿を現した伝説の怪物のような、油屋に赴く八百万の神様たちのような、 僕の想像力を刺激する空の景色でした。 cmn.hatenablog.com
現代につながる文化や学問、芸術を極めた古代ギリシア人は、当時の先進国エジプトを訪れ多くを学びました。当時ギリシアの歴史家ヘロドトス(紀元前484-425)もエジプト文明について克明な記録を残し、その中で「エジプトはナイルの賜物である」と記したのでし…
これからしばらくエジプトの話をしたいと思います。 僕がエジプトに行ったのは、もう30年近く前のこと、その間に世の中もエジプトも変わっていくのですが、6000年ものエジプトの歴史の前では30年なんて時間はチリのようなもの。 ピラミッドもスフィンクスも4…
エジプトの硬貨にはギザの三大ピラミッドが描かれていて、反対面のカリグラフィーのデザイン性の高さと一緒に、とても誇り高い硬貨です。 紀元前2500年頃、今から4500年前の古王国時代にこのピラミッドは建造されました。 黄金比をまとった端正な姿、東西南…
ヨーロッパ旅行で安く効率的に移動するために、いつも夜行列車を多用した。そして大抵の場合「クシェット」という簡易寝台を利用した。寝てる間にたくさん移動して、朝起きると次の国の次の街へ、確か一晩2〜3000円と安く手軽に利用できたので、貧乏旅行には…
古き良き懐かしい話 cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com
僕がヨーロッパによく出かけていたのは1990年代。ベルリンの壁が崩れた後からEU誕生して通過がユーロに統合される直前までの10年ほどの間に、西ヨーロッパの国はほとんど出掛けました。 初めてのヨーロッパ旅行が1991年だから当時はインターネットはおろか、…
ロンドンといえばロンドンバス。ロンドンバスといえば二階建て、ダブルデッカー。の中でもルートマスターという1959年に登場したのがこのバス。 とてもレトロで味があるデザインはロンドンの街の風景にとても良くなじみます。 僕はロンドンに滞在している間…
伝統と格式を重んずる紳士の国。古代ローマを標榜して大英帝国を築き上げた国。ビートルズが生まれた国、グラムロック、パンクロックの生まれた国、たくさんの世界的なアーティストが生まれた国。そしてサッカー、テニス、ラグビーと言った近代スポーツの生…
近所の池にて。 夕刻、鳳凰が舞い降りました。 cmn.hatenablog.com
シャーロック・ホームズ。 19世紀にイギリスで活躍した世界で最も有名な探偵。 天才的な頭脳による洞察力と推理能力と類稀なる行動力、そして創意工夫を駆使してスコットランドヤード(ロンドン警察)が手に負えない数々の難事件を解決。世の中の悪を嫌う一…
ロンドンを訪れた当時、僕はバンド小僧の端くれだった。アパートの部屋で毎日ギターを弾いて、自己満足の世界に浸っていた。正直、腕前は大したことない。とても人様に聞いてもらえるようなレベルではないけれど、バンドマンの端くれとして、ロンドンに行っ…
上海の空から、外灘の高層ビル群を望む2枚の写真を。 仕事の関係で上海によく出かけ、仕事の関係で朝のフライトが多かった。 上海の街は、ある朝は朝日を浴びて、ある朝は朝もやに包まれていました。 cmn.hatenablog.com
イギリスで一番心惹かれる建物。 Big Benとウェストミンスター宮殿。 ウェストミンスター宮殿は「宮殿」と名前がついていますが、国会議事堂です。当時僕にとってはそのこと自体が衝撃的でした。日本の国会議事堂とウェストミンスター宮殿。あまりに違いすぎ…
新宿の朝空 彼岸を過ぎて、空は一層高くなった。 cmn.hatenablog.com
ロンドンにはのべ1週間ほど過ごしました。 そのくらい過ごしていると、なんだか居心地が良いお気に入りの場所ができます。 その1:トラファルガー広場 当時イギリスでの僕の食事事情はといえば、朝は宿B&Bでたっぷりの朝食。昼はフィッシュ&チップス、重た…
ロンドンでどうしても行きたい場所があった。それはウィンブルドン。 イギリスはテニス発祥の国。 ウィンブルドンは1877年から続くグランドスラム大会The championships Wimbledon(いわゆる全英オープン)の開催地。そこは4大大会の中で唯一天然芝のコートで…