cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

エジプト 〜エジプト考古学博物館 (カイロ博物館)

エジプト考古学博物館 (カイロ博物館)ができるまで 支配下に置きながらエジプト古来の文化を温存したローマ帝国が衰退して、エジプトがイスラム教国家になった時、古代エジプト文明は潰えて、いったん歴史から姿を消すのです。毎年のナイルの氾濫と砂漠の…

エジプト 〜カイロ

世界遺産やエジプトの遺跡などは人間の寿命程度の期間何年経とうがそれほど変わりはないのだけど、街の様子というのは随分変わる。何年か前にマレーシアのクアラルンプールに10年ぶりに行ったら、すっかり近代都市に様変わりしていた。中国のとある地方都市…

エジプト小話 〜ミイラと死生観

上野でミイラを見た。 小学生低学年の頃、父に連れられて上野の国立科学博物館へ恐竜の化石を見に行った時に、僕は初めてミイラに出会った。あの時の衝撃は強烈だった。初めてみたミイラの姿はちょっと刺激的すぎてしばらく頭から離れることがなかった。当時…

エジプト小話 〜墓造り職人

その昔、古代文明の遺跡は奴隷による強制労働で作られた物だというのが通説でした。 でも色々な考古学上の発見によって、ピラミッドもテーベの墓も強制労働によるものではないことがわかっています。エジプトに限らず、どこの国でも古代の一般市民の生活に関…

エジプト 〜ルクソール 死者の街(ナイル西岸)

テーベのナイル西岸、神殿が建つ東岸とは対照的に、日の沈む方角である西側は死にまつわる施設が集められた死者の街と呼ばれます。 王家の谷 乾いた岩山に挟まれた寂しげなこの谷が王家の谷と呼ばれるのは、ここにたくさんのファラオ達の墓があるからです。 …

エジプト 〜ルクソール 生ける者の街(ナイル東岸)

現代ルクソールと呼ばれるこの街は古代エジプト語でワセト、古代ギリシア語でテーバイと呼ばれ、考古学上英語読みでテーベと呼ばれます。なんか複雑ですが、ここでは考古学また、敬愛するインディ・ジョーンズ博士に倣い、テーベと記述することにします。 古…

空と雲と 〜空から 7

東京に向かう飛行機の窓の外。 朝のサバンナの、草原にかかるモヤから木々が顔を出しているような、 神秘の湖で姿を現した伝説の怪物のような、油屋に赴く八百万の神様たちのような、 僕の想像力を刺激する空の景色でした。 cmn.hatenablog.com

エジプト 〜ナイルの賜物

現代につながる文化や学問、芸術を極めた古代ギリシア人は、当時の先進国エジプトを訪れ多くを学びました。当時ギリシアの歴史家ヘロドトス(紀元前484-425)もエジプト文明について克明な記録を残し、その中で「エジプトはナイルの賜物である」と記したのでし…

エジプト 目次

これからしばらくエジプトの話をしたいと思います。 僕がエジプトに行ったのは、もう30年近く前のこと、その間に世の中もエジプトも変わっていくのですが、6000年ものエジプトの歴史の前では30年なんて時間はチリのようなもの。 ピラミッドもスフィンクスも4…

エジプト 〜ギザ

エジプトの硬貨にはギザの三大ピラミッドが描かれていて、反対面のカリグラフィーのデザイン性の高さと一緒に、とても誇り高い硬貨です。 紀元前2500年頃、今から4500年前の古王国時代にこのピラミッドは建造されました。 黄金比をまとった端正な姿、東西南…