2022-01-01から1年間の記事一覧
これは火事で焼ける前のパリのノートルダム大聖堂です。1日も早い大聖堂の復活と今世界中で起こっている争い事がなくなることを祈ります。 cmn.hatenablog.com
ガリア戦役 1年目(B.C. 58年 カエサル42歳) ガリア戦役は今でいうところのドイツ人がスイスに侵入してきたことをきっかけに始まります。ガリア戦役一年目のこの年、現在のスイス人との争いが主な出来事でした。 当時トランサルピーナ(アルプスの向こう側)と…
前執政官(pro-consul)となったカエサルの任地ガリアとは、現在でいえばスイス、フランス、ベルギーといった地域を指し、100を超える部族が乱立し広大な湿地帯の広がる未開の地域でした。ガリア戦役とはカエサルとローマ軍団による8年に及ぶガリアの征服行で…
「執政官(Consul)」とは共和政ローマにおける最高官職。任期は1年、毎年2名の執政官がローマの政治を取り仕切っていました。 B.C.754年、王国ローマが誕生したときに建国の王ロムルスは国の政体を「王、元老院、平民集会」の3つにすることを決めました。ロ…
~カエサルの言葉~ 「人間誰しもすべてが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと思うことしか見ていない」 ”Fere libenter homines id quod volunt creduunt”誰でも、都合の悪いこと(見たくない現実)には目をそむけてしまいます。無意識のうちに現…
昔歴史の教科書に載っていた三頭政治(Triumviratus)という言葉。歴史を学校で学んだ(はずの)当時、全く意味を理解していなかった。歴史とは組紐が如く、もつれて繋がりをもって時が過ぎ、さまざまな小さな出来事が因果応報重なって大きな出来事へ流れていく…
ミラノ経由の飛行機でローマ入りした時、ローマのホテルに到着したのは夜の10時頃。この年は雨と雷と時差ボケとローマについた期待感と興奮でなかなか眠れず、その夜は一睡もできませんでした。 ずーっと続いていた雷と雨音の轟音が徐々に収まってきて、静け…
紀元前63年のこの年、カエサルは37歳で最高神祀官(Pontifex Maximus)になります。「最高神祀官」はローマの宗教に関する最高責任者で、ローマの官職のなかで唯一定員がひとりだけ、しかも終身職で他の官職との兼務OKという特殊な位置付けがされている。カエ…
海賊に囚われた時には50タラント(約50億円)もの身代金を従者に借金に走らせたり、按察官時代に行った二つの大事業を自費で行ったり、この時期、35歳にしてカエサルの借金は既に膨大な額でした。さらに生涯かけてカエサルは天文学的な数字の借金をすることに…
立つカエサルはB.C.65、35歳の時に按察官(エデイリス / aedilis)に就任します。按察官とはローマの公共施設の管理や祭儀の管理を行う官職でした。 カエサルはこの年、この官職を利用してローマ街道の補修と剣闘士試合開催という二つの大事業を行います。しか…
この日、空にマジックアワーが訪れました。 これは夕日とは反対側の東の空です。 最初、全体的に雲が多く空一面グレーでした。奥の方水平線のあたりだけが少しオレンジ色になってきたと思ったら、空を覆う影が現れました。 だんだん空の夕焼けっぽい範囲が広…
若い時期のカエサルを語る時、よく取り上げられるエピソードがあります。プルタルコス(Plutarchus A.D.46-119)の「対比列伝(Vitae Parallelae 英雄伝)」などに記される有名な話「カエサルが海賊に囚われた」を。 スッラの死後ローマに戻ったカエサルはいわゆ…
実は昨日、こんな展覧会を見てきました。天王洲の寺田倉庫WHAT MUSEUMでやってるのは知っていたのですが、忙しくてなかなか行けず、もうこの週末で会期終了。今年の春から職場が寺田倉庫まで歩いて8分の距離にあるため、最後のチャンス、先週末に思い切って…
カエサル18歳の時、スッラはカエサルの命を奪おうとしていた。 カエサルの叔父にあたるマリウスは政敵スッラの関係者を一掃しようと粛正を行った。そしてマリウスが死んだ後、スッラは逆にマリウスの関係者を完全消滅をしようとした。半ば感情的に殺戮を行っ…
カエサルの略暦。カエサルの生涯は後半に行けば行くほど濃くなっていきます。人生の経歴としてはカエサルはとてもスロースターターです。20代で軍功を挙げて当時すでに最高の栄誉を受けた三頭政治の一角、ポンペイウスとは対照的です。 しかし、後世の人々は…
この日、朝のマジックアワー(Magic hour)は静かに始まりました。 日の出が近づくにつれて、奥は黄色からオレンジ、高い雲がピンクに色づき始まめます。手前の低い雲とのコントラストがとても綺麗です。 空の手前上空の雲はラクノサス(lacunosus)という雲。 …
ヨーロッパの人は3月15日(ラテン語でIdus Martiae)というと、それが何を意味するのかほとんどの人が知っているといいます。日本で3月15日といえば中学や高校の卒業式?と連想しますが、ヨーロッパで3月15日といえば、それはユリウス・カエサルが暗殺された日…
このブログ"cafe mare nostrum"の中で何人か建築家や芸術家、政治家の生涯を辿ってきました。歴史に名を残した著名な方々の人生を辿るのは、大袈裟に言えばその一生を追体験しているようで感情も移入するし、単純に勉強にもなります。そして毎度、僕はその人…
タイトルはとても後ろ向きですが、内容はそうでもないのでご安心ください。 「奴隷」という言葉を見ると、アフリカから強制的に拉致されて、ひどい環境で生活しながら強制的に労働させられる人々をイメージします。「奴隷」という言葉には良いイメージはあり…
B.C.78年スッラが死んだあと、スッラが完成させた改革はことごとく崩壊していきます。終身独裁官であったスッラは自らが考えて準備していた改革を導入させたところであっさり終身独裁官の職を降りて政界を引退してしまった。スッラが行った改革は元老院の復…
マリウスとスッラが台頭したこの時期、紀元前100年7月13日に、ローマの未来、そして現代に、特にヨーロッパ世界の運命に大きく関わる人物が誕生します。 ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar B.C. 100 - B.C.44) カエサルは、たどればローマ建…
グラックス兄弟の改革と不条理な死を経て、ローマは完全に元老院派と一般市民との間に強烈な溝が生まれ、同じローマ市民の間に大きな対立構造が出来上がってしまいます。深刻な問題となっていた農民たちの失業はローマ軍団の弱体化に直結し、それを敏感に感…
今夜の月は「中秋の名月」。 雲一つない夜空に煌々と輝く 反射望遠鏡越しのため、模様が反転しています。 こちらは水面に写った中秋の名月。 水面に写っている姿なので上下が反転しています。 今年の十五夜はとても神秘的でした。 cmn.hatenablog.com
世の中はすっかり秋めいてきました。 日の出も随分と遅い時間になってきて、 鱗雲が空高く cmn.hatenablog.com
ハンニバル戦記とも言われるローマとカルタゴの戦争「ポエニ戦役」は他人の領地に入ってきたカルタゴを「あっちに行け」とローマが加勢したことから始まったのに、振り返ってみれば、130年にもわたるローマとカルタゴの全面戦争、ローマの完全勝利でカルタゴ…
寛容を旨とするローマ人が唯一完膚無きまで叩き潰した国があります。当時強大な経済大国として地中海に君臨したカルタゴ(現在のチュニジア)です。 歴史上ポエニ戦役と言われるローマとカルタゴの戦争では先の2度の戦役でローマがカルタゴに勝ち、講和を結ん…
カルタゴは現在のチュニジアに位置するフェニキア人の国。当時ローマ人が経済力ではかなわない、としていた経済大国です。紀元前3世紀、カルタゴはギリシアの衰退によって地中海の通商を広く牛耳ることになり、特に西地中海はカルタゴの独壇場でした。 そし…
紀元前509年にエトルリア出身の王タルクィニウスを追放し共和政への舵を切ったローマでしたが、周辺諸民族との戦いや内紛など、なかなかすんなり安定運行とはなりません。アテネに調査団を送って、「十二表法」を作るも逆効果、貴族と平民の溝は深まるばかり…
現在のローマの街を歩くと、あちらこちらで目にする「S.P.Q.R」の文字。何かのお知らせのチラシの最初に、看板の頭に、街灯に、マンホールの蓋に、そして古代ローマの遺跡に、このS.P.Q.R.の文字が並びます。 S.P.Q.R.とはラテン語で”Senatus Populus Que Ro…
第7代、最後の王となったタルクィニウスの暴君っぷりに散々懲りたローマ人は、これ以降独裁政への嫌悪感を民族のDNAにこれ以上ないほど深く刻みこむことになりました。 ローマの王は世襲ではなく選出により決まるので、王政とは言っても絶対王政ではありませ…