cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

建築

エッフェル塔小話 夜の帳

初めてパリに来た時は真夏でした。 あの時、エッフェル塔の夜のライトアップをどうしても見たいと思って、僕はシャイヨー宮に行ったのです。 当時まだパリの夜が遅い(暗くなるのが遅い)ことを知らずにまだまだ明るい6時頃からシャイヨー宮の石柵のヘリに座っ…

エッフェル塔

1889年、フランス革命100周年に開催されたパリ万博に建てられたエッフェル塔。当時この「鉄の塔」はパリの美観を損ねるとして文化人、芸術家を中心にした猛烈な反対運動が起こったといいます。 そんな逆境の中、 多くの著名人たちの反対を押し切ってこの塔を…

エッフェル塔 目次

エッフェル塔(Tour Eiffel) 1889年、フランス革命100周年に開催されたパリ万博に建てられたエッフェル塔。当時この「鉄の塔」はパリの美観を損ねるとして文化人、芸術家を中心に猛烈な反対運動が起こりました。パリ万博の後20年で取り壊すことを条件にエッフ…

シャンゼリゼ界隈 凱旋門

「Arc de triomphe de l'Étoile」がこの凱旋門の正式名称です。 パリには4つの凱旋門があります。古い順にサンドニ門、サンマルタン門、カルーセルの凱旋門、そして一番新しく一番有名で、一番巨大な凱旋門がこのエトワールの凱旋門。 シャルルドゴール広場…

ルーブル美術館1 ガラスのピラミッド

ルネサンス様式の建物に囲まれたナポレオン広場。その中心に近代的なガラスのピラミッドがあります。「近代的なガラスの」なんですが、その形が古代の「ピラミッド」であるために不思議なほどの調和が生まれています。 1981年「グラン・ルーブル(Grand Louvr…

ルーブル美術館0 宮殿から美術館へ

1200年にパリ防衛上もっとも弱いところに築かれた砦がルーブルの建物の始まりです。最初の建物は現在のルーブルの東端クールカレと呼ばれる正方形の部分(シテ島側のポン・デ・ザールと繋がるところ)で、当時ラテン語で「ルブラ(Rubras)」と呼ばれていました…

ルーブル界隈 芸術橋 Pont des Arts

ポン・デ・ザール セーヌ川にかかる橋で、数少ない車の通れない人のための橋。木の床は優しく、歩いてとても心地よい橋。 この華奢な鉄のアーチの連続が見た目のとても繊細な印象を作ります。セーヌにかかる橋の中で最も美しく、絵になる橋だと僕は思うので…

パリ オペラ座とシャガール

僕はシャガール(Marc Chagall)の絵は好きだし、オペラ座の天井画「夢の花束」もとても好きだけど、バロック的であり古典主義的なネオバロックと呼ばれるオペラ座の空間にシャガールの絵は基本的には合わないと思う。合わないのだけど、パリのオペラ座だから…

パリ オペラ座

パリのオペラ座 / パレ・ガルニエ(Palais Garnier) 正式名称は「国立歌劇場」。オペラ座(Opera)というとパリの他にもあちこちに存在するので、このオペラ座は「パリの」としたり、「ガルニエ宮殿」と呼んだりして区別します。 ■背景1852年、ナポレオン3世が…

パリ オペラ座界隈〜マドレーヌ寺院

マドレーヌ寺院(Église de la Madeleine) この古代ギリシア風のコリント様式の神殿は、聖マドレーヌ(マグダラのマリア)を守護聖人とするカトリックの教会です。この外観はとても教会には見えません。 コンコルド広場からもこの現代に蘇ったコリント式神殿を…

パリ レ・アル地区

「レ・アル(Les Halles)地区」は元々パリの生鮮食品の中央卸売市場でした。 レ・アルの起源は11世紀、乾物と両替を扱う市場からスタートします。12世紀に市場のための2つのホール(Halles)が建てられ、その後も市場が拡大するごとにホールが増えていきました…

パリ カルチェ・ラタン界隈

カルチェ・ラタン(Quartier Latin)とは「ラテン区」を意味します。 紀元前1世紀にローマ人は、シテ島を中心にローマ都市を築きました。特に左岸のこの地区には、公共浴場や半円形劇場、広場といった公共施設を集められ早くから近代化がなされてたのです。カ…

シテ島 ポン・ヌフ

ポン・ヌフ(Pont Neuf) ルーブルの側からセーヌ沿いに歩くと、シテ島にかかるポン・ヌフが最初に迎えてくれるます。ポン・ヌフ(新しい橋)という名前のパリ最古の橋は、1606年の完成以降ほぼ原型をとどめながらシテ島をパリの左岸と右岸を繋ぎます。 ポン・ヌ…

シテ島 コンシェルジュリー

メトロ4号線シテ駅からは裁判所の横を歩いて徒歩1分程度の位置にコンシェルジュリー(La Conciergerie)があります。 元々は10世紀にシテ宮(Palais de Cite)と呼ばれる王宮として誕生したのだけど、14世期以降、20世紀初頭までの600年ほどを牢獄として使用さ…

シテ島 メトロ駅

メトロ4号線 シテ駅 1910年12月に開業したメトロ4号線の駅としては少し遅めにできました。 もう100年以上の歴史がある、趣深い駅です。 セーヌの下を通っているため、他の地下鉄に比べ地上から駅までがちょっと深い(約20m)。まるいトンネルの壁に白いタイ…

シテ島 ノートル=ダム寺院3 魔物たち

パリのノートル=ダム(Notre-Dame de Paris) 時期◼️1163-1345 場所◼️ 6 Parvis Notre-Dame - Pl. Jean-Paul II, 75004 Paris, フランス 魔除の魔物。 ノートル=ダムのあちこちにいて、色々な災厄からノートル=ダムを守っています。 この建物の側面からニョキ…

シテ島 ノートル=ダム寺院2 内部

パリのノートル=ダム(Notre-Dame de Paris) 時期◼️1163-1345 場所◼️ 6 Parvis Notre-Dame - Pl. Jean-Paul II, 75004 Paris, フランス ノートル=ダムの内部へは3つの門のうち、右側の聖アンナの門か左側の聖母マリアの門のどちらかから入ることになります。…

シテ島 ノートル=ダム寺院 1 外観

パリのノートル=ダム(Notre-Dame de Paris) 時期◼️1163-1345 場所◼️ 6 Parvis Notre-Dame - Pl. Jean-Paul II, 75004 Paris, フランス ■ファサード 正面(西側)ファサードは、地上から見ると、3つの門があり、その上に諸王の階があり、聖母子を抱く「西のバラ…

シテ島 ノートル=ダム寺院 0 Out line

ヨーロッパには聖母マリアに捧げる聖堂がたくさんあります。 イタリアでは「St.Maria del 〇〇(サンタ・マリア・〇〇聖堂)」 ドイツ語圏では「〇〇 Frauenkirche(〇〇・フラウエン教会)」 そしてフランス語圏では「Notre-Dame de 〇〇 (〇〇のノートル=ダ…

スイス レマン湖畔 〜 シヨン城

シヨン城(Chateau de Chillon)はレマン湖につきだした小さな島の上に建ち、その姿は湖に浮かぶようです。シヨン城を含むこの辺りはレマン湖畔の中でも最も美しいといわれています。 僕は早朝にモントルーの駅からレマン湖沿いを歩きシヨン城を目指しました…

スイス レマン湖畔 〜ローザンヌのノートル=ダム

ローザンヌのノートル=ダム(Notre-dame de Lausanne) ノートル=ダム(Notre-Dame)=聖母マリアに捧げる聖堂として、1170年から建設が始まり1275年にほぼ完成されるのですが、その間、建築主任が三人も入れ替わり行われたのもあり、全体的にややチグハグなフ…

ドイツ〜 ケルン

oln ヨーロッパの街の多くは鉄道の駅が街外れにあります。 ”街”という古くからの文化に対し”鉄道”という新しい文化が後から付け加えられた結果で、古くからの街を損なわないようにと新しい文化「鉄道の駅」は街の外におかれたのでした。 そのおかげで僕のよ…

ロマンティック街道〜 ヴィース教会

ieskirche ホーエンシュバンガウから出発したバスは緑の原野を抜けて、小さな村外れに止まります。フュッセンの近郊、ここには世界遺産ヴィース教会(Wieskirche)があるのです。 ヴィース教会は18世紀中頃にツィンマーマン兄弟により建てられたバロック様式の…

ドイツ〜 ホーエンシュバンガウ6 ホーエンシュバンガウ城

ホーエンシュバンガウ城 ホーエンシュバンガウにあるもうひとつの城。 それがこのホーエンシュバンガウ城(1832-1836)。 実はこちらの城の方が歴史が古い。 ここにはもともと12世紀に建てられたシュバンシュタイン城という古い城があって、当時のバイエルン国…

ドイツ〜 ホーエンシュバンガウ2  ノイシュバンシュタイン城へ

ノイシュバンシュタイン城へ行ってみましょう。 ホーエンシュバンガウの村はノイシュバンシュタイン城の建つ岩山の、まさに麓にあるので、小さな村のどこからでも城を仰ぎ見ることが出来ます。 この写真はホーエンシュバンガウの観光案内所からの景色。 ホー…

ホーエンシュバンガウ小話1 〜 ルートヴィヒ2世と白鳥の城

「私はホーエンシュバンガウの古い城の廃墟に新しい城を建てようと思う… そこは見つけうる限り最も美しい場所です」 これはノイシュバンシュタイン城の創造主である19世紀のバイエルン国王ルートヴィヒ2世(1845-1886)が、親交のあった作曲家ワーグナーに宛て…

Gallery ノイシュバンシュタイン

白鳥の城 ノイシュバンシュタイン城のいろいろな姿を。 リュートを奏でる像。その向こうにノイシュバンシュタイン 村の真ん中辺からの眺めはちょうど城の後ろ姿になる。 僕はこの姿も結構気に入っている。 向こうに見える切り立った崖。あそこからの眺めも壮…

エジプト 〜カイロ

世界遺産やエジプトの遺跡などは人間の寿命程度の期間何年経とうがそれほど変わりはないのだけど、街の様子というのは随分変わる。何年か前にマレーシアのクアラルンプールに10年ぶりに行ったら、すっかり近代都市に様変わりしていた。中国のとある地方都市…

エジプト 〜ルクソール 死者の街(ナイル西岸)

テーベのナイル西岸、神殿が建つ東岸とは対照的に、日の沈む方角である西側は死にまつわる施設が集められた死者の街と呼ばれます。 王家の谷 乾いた岩山に挟まれた寂しげなこの谷が王家の谷と呼ばれるのは、ここにたくさんのファラオ達の墓があるからです。 …

エジプト 〜ルクソール 生ける者の街(ナイル東岸)

現代ルクソールと呼ばれるこの街は古代エジプト語でワセト、古代ギリシア語でテーバイと呼ばれ、考古学上英語読みでテーベと呼ばれます。なんか複雑ですが、ここでは考古学また、敬愛するインディ・ジョーンズ博士に倣い、テーベと記述することにします。 古…