アルルでゴッホの足跡を少し辿ってみる。
アルルでの宿はかつてあった黄色い家の裏手にあたるHotel Terminus et Van Gogh。ゴッホという名前のホテルを拠点に、アルルの街をゴッホの足跡を辿ってみた。
黄色い家
ゴッホは1888年2月にアルルに来て、5月からこの黄色い家で過ごし始めた。
黄色い家の、絵で見た右半分がゴッホの新しい拠点となった。ここに移った理由は家賃問題と言われているけれど、もともと黄色く塗られていたこの家に、ゴッホもそこが気に入ったから移ったのではないかと思わずにはいられない。
ここは1944年に戦災に会い、黄色い家はこの時焼けてしまった。この絵が描かれたのは1888年9月で、それから130年ほどたった現在でも黄色い家の後ろの建物や、駅に続く道の風情は変わっていない。
フォーラム広場(Place du Forum)という古代ローマの広場跡地の向かい、もともとここにあったカフェの、夜の賑やかな風景を描いた作品がこの「夜のカフェテラス」。ゴッホがアルルに来た年の秋、夜空をバックにカフェの灯りを表現した鮮やかな黄色が印象的。
このカフェも当時は違う名前だったと思うし、カフェの外観も昼間からこんなに黄色ではなかったはず。しかし今は絵の方が有名になりすぎたおかげで、昼間でもゴッホの絵のような外観になり、カフェの名前も「ゴッホ」になってしまった。雰囲気が出ていて良いのだけど、ちょっとやり過ぎな感じも否めない。
アルルの跳ね橋(ラングロアの橋)
「アルルの跳ね橋」もいくつか複数の作品があるけど、僕が好きな跳ね橋がこれ。今はオランダのクレラーミュラー美術館に所蔵されている。この絵が描かれたのが3月なので、アルルに来て間もない時期の作品。
写真の跳ね橋はアルルがゴッホの街としての街おこし(?)をするために、当時の木製の橋を復元したもの。「木製の跳ね橋を再現」したものに過ぎず、実はここで描かれたわけでもない。アルルの街からこの橋を見るためだけにバスに揺られて来たけれど、絵の風情もそんなに感じることはできない。
でも、オランダの跳ね橋はアムステルダムにあるような近代的なものしか見てなかったので、1888年の風情ある橋を見ることができたのは良かった。
アルルの病院の庭
耳切事件の後、すっかり精神を病んでしまったゴッホは2度この病院に入退院した。その後ゴッホはこの病院の庭をいろいろな視点から10点ほど描いる。生い茂る木々や並木道などの描写が多く、病院の様子がわかるのはこの1点。1889年4月に描かれたこの作品。このすぐ後にゴッホはアルルを去る。ゴッホのアルルでの生活は僅か1年と3ヶ月ほど。でも短い期間だったけど、とても濃密だったと思う。
ゴッホはこの後1889年5月〜1890年5月までの1年間をサン・レミの療養所で過ごし、パリの近くオーベル・シュル・オワースという小さな村に移り住むことになる。
関連情報リンク
クレラーミュラー美術館– Kröller-Müller Museum
オスカーラインハルト・コレクション<アム・レマーホルツ> | スイス政府観光局