cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

南仏の小話 〜大きく彷徨う

f:id:fukarinka:20200414182247j:plainあの年、ヨーロッパ入りした次の日にベルギーのブリュッセルから夜行列車で南フランスに入った。時差ボケと移動の疲れが残ったまま夜行に乗り、睡眠不足早朝、まだ人が動き出す前のアルルに到着してニームポン・デュ・ガール、アヴィニヨンを回る予定を立てていた。ところがこの日は頭がどんよりしたまま、笑うに笑えないなんだか冴えない一日となった。

 

その日の南フランスはゴッホが求めた黄色い太陽をどんよりと雲が覆い、時折雨が降るというなんともスッキリしない空だった。それに加え、おとといの14時間の飛行機と夜行列車でさすがに移動の疲れが体と頭を重たくしていてどうにも冴えない。それでも旅先ではじっとしていられない性なので、一旦アルルの駅に荷物を置き、そそくさと次の目的地ニームへ向かった。

 

朝一で少し雨降るニームの街を歩いて、メゾン・カレ(ローマの神殿)、ローマの円形闘技場、フォンテーヌ公園のローマ遺跡を周り、南フランスに残るローマの痕跡に感心しながら、次の目的地ポン・デュ・ガールへ向かう。僕はローマの水道橋であるポン・デュ・ガールが見たかった。実はニームポン・デュ・ガールへのアクセスがよかったので、ある意味ついでに立ち寄った場所でもあった。ついでと思って立ち寄った街だったけどローマの遺跡がたくさん残っていて、「なぜこんなところにローマが?」と僕がローマにはまっていくきっかけになった街でもある。

ポン・デュ・ガールへはバスで行く。バスはどうも苦手。日本でも海外でも。どうも好きになれない。その理由の一つは、行き先がよくわからない。電車のように線路が敷かれていると何か安心できる。一方でバスは、公共交通機関としてより細かい輸送網を担っているので仕方ないのだが、このバスで良いのか?何か安心できない。これは気持ちの問題だけかもしれない。もう一つは時間が曖昧。これもバスという性格上仕方のないことだけど、日本にいても遅れることが多かったり、定刻前に出発してしまったりいいイメージがない。海外行ったら電車に輪をかけて時間が曖昧になる。効率よく旅行したいと思うとバスは敬遠してしまう。なので、旅行先では余程のことがない限りバスは使わず、電車・地下鉄で目的地一番近くまで行きあとは歩くというのが常だった。

さてポン・デュ・ガールは無事バスに乗り、到着することができた。

一面オリーブ畑の田舎道を走って、森の木々の隙間からチラチラと巨大なポン・デュ・ガールの姿が見えた時は鳥肌がたった。ポン・デュ・ガールはローマの水道橋。そして合理的な構造で芸術的でもある。そしてそのアーチのリズムは周囲の自然と調和して、驚くほど違和感なく存在している。僕はこの目で間近にその姿を見たかった。

バスを降りて、河原から眺め、谷の斜面から眺め、石を触り構造を確かめ、最後に一番上の今は水の流れていない水路を歩き、一番上に立って谷と水道橋を感じ取った。

僕は次の目的地アヴィニヨンへ向かうことにした。

 

期待以上だったポン・デュ・ガールにすっかり満足したところで、ヨーロッパに入ったばかりの時差ボケとすぐ夜行で南仏入りした疲れが一気に押し寄せてきた。

そこからこの旅行最大の迷走が始まる。

当時持っていたガイドブックには「対岸にアヴィニヨン行きのバス停がある」とあった。対岸を渡り、ちょっと下のレベルにバスがたくさん停まっていた場所があったのだけど、「観光バスばかりだ」とろくに確認せずにそのまま歩き始めてしまった。今思えそこに一般路線バスの乗り場もあったはずで、なぜそこをちゃんと確認しなかったのか当時の自分の行動が理解できない。

ポン・デュ・ガールの余韻に浸りながら疲れた頭でぼーっと歩いてしまい、アヴィニヨンへのバス停はいつまでたっても現れない。これは間違いだと思った時はもう引き返すのも億劫になるほどの距離を歩いてしまった。その時は景色を見ながら歩いていけば、そのうちバス停が現れるだろうと、そこからさらに歩き進んでしまった。

甘かった。

行けども行けどもオリーブ畑、変化のない退屈な眺め、どこまでいってもバス停が現れる気配がない。結局1時間以上、1週間分の荷物を背負ってトボトボと歩く羽目になってしまった。しかし、ついにバス停が現れた。大喜びでバス停に近づいて見ると、時刻表はなく、どこ行きのバスがいつ現れるのか情報がまるでない。愕然としていたら車が一台通りかけた。とっさにヒッチハイクを試みると車は停まってくれた。大学生くらいの女性二人組の車だ。よおしとばかり、大学で習った第二外国語フランス語を使う。アヴィニヨンまで行きたいのです!しかし、まるで通じず。車は行ってしまった。。。

結局、そのあと出した結論は「ポン・デュ・ガールの朝のバス停に戻る」だった。

ボケた頭で自分のここまでの行動に腹を立て、オリーブの木々に悪態つきながら誰もいない道をひたすらトボトボ歩く様は今思えば滑稽だ。ここで行って戻って2時間もロスしてしまい、その日のアヴィニヨン行きは諦めざるを得ない。

ようやくポン・デュ・ガールと思わぬ再会を果たし、朝のバス停でニーム行きのバスを待った。この時は雨が降り出し、すぐ横のカフェでコーヒーすすりながらバスを待つことにした。ボケた頭のおかげで時間と体力を浪費した挙句、アヴィニヨンへも行かれなくなり、情けないやら悔しいやら。30分後バスが来て、朝来た道を辿ってニームに戻った時はもう3時を過ぎていた。

 

重い荷物を背負って2時間歩き、流石にヘトヘトになって列車に乗った。もうアヴィニヨンは諦めてアルルに戻る。僕は何となく、アルル行きの列車なんてあったっけ?と思いながらアルル行きの列車に乗り込み、列車の中であっという間に寝てしまった。

次の瞬間、列車は終点アルルに着いた。アルルは今朝降りた駅だが、何か景色が違う。なんかとても田舎の駅だ。もう乗客は全員降りて、残っているのは僕だけだ。慌てて列車を降りて、頭を整理しようとしたが、混乱してわけわからない状態が3分くらい続いた。今どこにいるのかわからないけど、今どこにいるのかわからない、どれだけ寝ていたのかもわからない、その間にとんでもなく遠いところに来てしまったのではないかという危機が、朝からどうにも冴えなかった頭を一気に覚醒させたのでした。

すぐに駅舎に行き、路線図と地図を探した。ここはArles(アルル)ではなくAles(アレ)。致命的ではないけど、真逆の方向に来てしまったことがわかった。

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南仏迷走MAP

 次に時刻表を見つけ、アルル行きの列車を探す。あった15分後に。遅くなるがアルルに行ける。このローカルな駅に来て奇跡的にロスがほとんどなく、アルルに戻ることができそうなのがわかって、ようやく落ち着いた。

そしてアルルへ行くと思われる列車がホームに入ってきた。頭は冴えてる。念には念を入れ、間違わないように列車の近くにいた駅員に確認する。「これはアルルに行くよね?」、「はい」。ヨシ!と列車に乗り込み、席に座るが今度は意地でも眠らない。

こうして、Ales(アレ)からArles(アルル)へ遅くなったが、無事にたどり着くことができた。

ヘトヘトになってアルルについて、飛び込みでホテルをとり、ホテルのご主人に部屋の窓からの景色を紹介してもらった。

「あそこが旧市街の入り口、ローマの闘技場、浴場、そしてこっちが母なるローヌ川だよ」

夜の8時過ぎ、冴えない迷走で精魂尽き果てたと思っていたのだけど、そう聞いてしまったら、街に出ずにはいられなくなってしまった。

僕はこの後すぐ、一日背負ったバックパックを部屋におろして、疲れも何も忘れて夜のアルルの街に繰り出したのでした。

 

 

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