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旅行の記憶と何気ない日常を

ゴッホの小話 〜ゴッホと僕

子供の頃から絵を描くのが好きで、学校では図工の授業が一番好きだった。そしていつの頃からか気がつけば絵を観ることも好きになっていて、美術展があれば出かけたり、旅行先では美術館に足を運ぶ、むしろ美術館に行くために旅行するような感じ。

記憶を辿れば、ここまで美術に傾倒するきっかけがゴッホでした。

 

 1987年に当時の安田火災海上保険がゴッホの「ひまわり」を購入して話題になった頃、僕はまだ今ほど西洋美術史には興味がなく、ルノアールやモネの絵は感覚的に惹かれていても、最初はゴッホの絵に惹かれていたわけではありませんでした。

そんな頃「ゴッホは天才だ」と身近な誰かが呟いた。「ひまわり」の53億円という落札価格には何も感じなかったけど、この呟きがきっかけで、ゴッホをより知りたいと思うようになったのでした。するとゴッホの周辺のそしてそれまで名前だけは知っていた「印象派」「モネ」「ルノアール」と言ったキーワードについても深く知りたくなり、さらに「ルネサンス」から「ギリシア・ローマ」。。。と僕の中でどんどん連鎖が広がっていきました。

 僕は多分、ゴッホにこの世界に招き入れてもらったんだと思う。おかげで今までとても充実したありがたい時間を過ごせてきた。

昔から日本人は他の国の人たちに比べ印象派の愛好家が多いと言われている。

印象派の画家の多くが日本の浮世絵に少なからず、いや大きな影響を受けているという事実からすれば納得できる。一見して浮世絵とは似ても似つかぬ作品であっても、構図なのか輪郭線なのか色使いなのか何かしら浮世絵や日本美術の要素が印象派の作品には入っていて、それに日本人のDNAが反応するのだと思う。

僕も例外ではなく印象派はとても好きで、その代表格のモネやルノアールの絵もよく観に行くし同じ時代の画家たちの絵も好き。オルセーにも何度か出かけ、日本に印象派の作品が来るとなれば、かなりの頻度で彼らの作品に会いにいったり、彼らの作品を所蔵している日本の美術館には常設展を観にいったりもする。

印象派はその一瞬の光と空気を描く。モネは時間で移り変わっていく空気に染まる景色を捉えてたくさんの連作を残しました。ルノアールは人々の幸せな空気をキャンバスの中に満たしました。僕は浮世絵の影響を受けているDNA的な要素の他に、刻々と変わっていく光や空気を描き出されている作品にとても刺激されます。

さてゴッホは美術史上「ポスト印象主義」に分類され、印象派から影響を受けた次の時代の画家に括られる。

オランダ生まれのゴッホがパリに行き、印象派の画家たちから刺激を受け、そして日本美術にも出会った。でも同じく浮世絵から影響を受けた印象派や同時代の画家の作品とゴッホの作品は大きく違う。

ゴッホの描く絵は、幸せだったはずのアルル前半の作品ですらどこか苦悩がにじんでいて、その独特の画風と相まって僕に迫ってくる。精神を病んでしまった後の作品はゴッホの心の苦しさがはっきりと絵から激しく放射されているようにすら感じるほど。

ゴッホの描くものは「印象派」の一派とされるも、一瞬の風光明媚を描き残したモネ、幸せの空気を表現したルノアールとはまったく別世界の作品です。

 

ゴッホは27歳〜37歳の10年間の画家としての人生の中で、売れた絵はわずか、たったの1枚だけ。それはオーヴェルでゴッホが命を絶つ5ヶ月前のこと、その2年前の1888年にアルルで描いた「赤い葡萄畑」が売れた。アルル時代に知り合ったベルギー人の友人の姉が買ってくれた。

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赤い葡萄畑 @プーシキン美術館 / モスクワ

 

ゴッホは弟テオ以外、世の中に評価されることはなかった。でもそんなことに臆することなく、まるで命削るように描いて絵を描きました。そして描くことに集中するあまり最後は精神を壊してしまう。

そんな中で描かれたゴッホの作品から感じるのは「苦悩」と「迫力」。なので、僕はゴッホに会いにいくときは、いつも緊張する。ゴッホの絵が放つエネルギーをしっかり受け止めなければいけない気がして。

 

 

 関連情報

ポスト印象派 - Wikipedia

印象派 - Wikipedia

プーシキン美術館

 

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