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ガウディの足跡4 グエル邸

Palau Guell

時期◼️1886-1890  ガウディ34-38歳

場所◼️ ノウ・デ・ラ・ラムブラ通り9 Carrer Nou de la Rambla, 3-5, 08001 Barcelona

現在◼️ガウディのグエル邸として公開

 

グエル別邸の仕事のあと、グエルはランブラス通りにほど近い自分の邸宅の設計をガウディに依頼しました。依頼を受けたガウディは26通りものデザイン案を考え、うち2案を図面化してグエルに提案、グエルに判断を仰ぎました。

この2案のうちひとつは施主であるグエルの好みに沿ったもの、もうひとつはガウディがその時最も表現したいと考えた形でした。グエルは2案のうち、ガウディの作りたい方の案を言い当て、そちらを採用したのでした。

完成したグエル邸は新聞でも取り上げられ、ガウディはグエル邸の仕事によって建築家として相応の名声を得ることになりました。

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 ガウディはこのころ、放物線アーチこそ自分の求める構造美だということを悟ったと言われ、グエル邸と同じ時期(1898-1890)に手がけたサンタ・テレサ学院は放物線アーチをこれでもかというほど多用している。

(サンタ・テレサ学院は実際に行けなかったのでこのブログからは割愛)

以降ガウディの作品には様々なタイプの放物線アーチと破砕タイルがデザインの核をなすようになります。ガウディ建築のすべてがここグエル邸に凝縮されているのです。

 

また、この仕事でグエルとの信頼関係も決定的なものとなり、この二人は建築家と施主として、また親友として生涯を過ごすことになったのでした。 

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グエル邸のファサード

放物線アーチの開口部とそこを埋める鉄の装飾・造形。この複雑な鉄の装飾はグエル別邸の鉄の竜門同様、圧倒されます。

 

グエル邸の設計をめぐる施主と建築家のやりとりから、グエルはガウディにとってこれ以上望目ないほどの人物だということがわかります。施主の好みで設計したものと、それを超えて創造力のかぎりを注いて設計したものを提示する。どんなに才能にあふれていても大抵の場合、クリエーター側の意見は採用されない。

グエルという施主はガウディの創造力を選択した。財力と芸術への感性、そして才能に対する謙虚さがないとなかなかこういう選択はできないのかもしれない。何れにしてもガウディとグエル、とても羨ましい組み合わせです。 

 

ガウディ建築の凝縮されたグエル邸。ガウディが設計した家具もたくさんそこにあった。

当時グエル邸は装飾博物館として内部も一般公開されている、はずだった。ところが僕がバルセロナに滞在している間中、何らかの理由で休館していたため中に入ることはできなかった。とても悲しかった。

今では世界遺産登録もされ、「グエル邸」そのものが公開展示されている。

 

 

***ガウディと僕

グエル邸を設計した時、ガウディは34歳。

34歳の僕は会社の風土改革(意識改革)をどうやって成そうか、ひたすら考えていた。ガウディはグエルという生涯のパトロンであり親友に出会う。僕もこの頃、今までのビジネス人生で唯一、ひれ伏したくなるような人物に出会えた。当時事業部長、最終的に副社長を務めたその人は、仕事に厳しく、有言実行、そして何より誰に対しても謙虚で礼儀正しかった。当時、風土改革を立ち上げた僕に共感してくれて、全面的に支援してくれた。

もう随分前に仕事はリタイアされたが、僕にとって唯一の理想の上司と言える。

人生の中でそういう人に一人でも巡り会えたのは幸運以外の何物でもない。

 

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