バルセロナでガウディの作品を探訪してきた。
もう25年も前のことだけど、今でも鮮明な記憶として昨日のことのように脳みそに刻み込まれている。
実際に目の前にするということは、やはり本で読むとも違うし、写真を見るだけとも違う、TVが進化して高精細になったとか、臨場感がすごくなったとかいってもやはり実際に目の前にするのとでは全く違う。
これからいくらVRが進化しても、実物を前にすること以上にはなることはないだろう。
僕はバルセロナに行き、ガウディの作品を訪ねて出来るだけガウディの作品を触ってきた。カサミラの石の表面、カサバトリョの骨のようなファサード、グエル別邸の鉄のドラゴン、グエル公園のエントランスの壁やベンチの破砕タイル。写真や記述では伝わってこない、息吹のようなものが手のひらや指先から伝わってくる。その場所の空気感もまた然り。
僕はサグラダファミリアで鐘楼に上り、しばらくそこで過ごしていた時に、サグラダファミリアの石に頬ずりしてしまった。誰かに見られたら、変質者と思われたかもしれない。サグラダファミリアに憧れて10年、耐震性を全く考慮してないひょろ高い鐘楼の上で、このままサグラダファミリアがパタンと倒れて、一緒に死んでしまったとしても、本望であるとさえ思ってしまいました。
この目で見て、呼吸して同じ空間にいることを実感して、触ってみて、素材の質やその凸凹や滑らかさや汚れから、その生い立ちを読み取って、そうやって記憶というか、心の中に刻み込まれたことはそう簡単には薄れないものなのだ。
だから子供たちにも、出来るだけ本物を見る機会を与えてあげたい。大人になってその価値が本当にわかる頃に、やっとその意味に気づくことになるんだろうけど。