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ロンドン小話 〜憧れの大英博物館

大英博物館

ヨーロッパはもちろん、アジアから中近東、アフリカまで古今東西の美術品と書籍、考古学的な遺物や硬貨、工芸品に至るまで800万点を収蔵して、常時15万点ほどを無料で公開している世界有数の博物館。

もともと医師であるハンス・スローン氏が生涯かけて集めた図書、植物標本、医学標本を、その遺言により一般に公開したことが、この大英博物館の始まりです。その後、個人収集家のコレクションが次第に集まるようになり、どんどん手狭になっていったため、拡大・一新しようと19世紀に建てられたのが、今の建物です。

1823年に着工されたこの建物は、ギリシア神殿を模していて、特に正面入口のファサードのフォルムはアテネパルテノン神殿。なのに円柱はイオニア式という、今見ると少し違和感を感じるのだけど、当時は本物のギリシア神殿は見たことがなかったし、もし見たとしても本物は崩れかけた遺跡でしか残ってないから、僕にとっては本物の古代ギリシアの神殿を感じるのには十分な姿で、かなり満足でした。

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 さて、個人コレクションとはいえ、大英帝国の領土のあちこちから収集(略奪)されたコレクションはとてつもなく価値のあるものがたくさんある。その中でも最高峰と言えるのがこのパルテノン神殿の彫刻群、俗に言う「エルギンマーブル」。パルテノン神殿は紀元前5世紀にギリシア都市国家アテネの最盛期に誕生したギリシア神殿の完成形。全体的なフォルムは黄金比が効果的に用いられ、人間の視覚、錯覚を考慮して最も安定して、美しく感じられる形に少しずつモディファイされ仕上げられている(なのでパルテノン神殿に直線は存在しません)。そして、神殿を飾る彫刻群はギリシア最高(人類最高と言いてもいい)の彫刻家であり、パルテノンの建築そのものに深く関わったフェイディアスという人物。フェイディアスが生み出したのは神々や人々が今そこに生きているかのような彫刻群。

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パルテノン神殿とその彫刻は、その後世界の様々な地域の建築、美術に影響を与え続け、ギリシア一というより、人類史上最高の作品群なのです。

1800年ころのギリシアオスマン帝国支配下にあり、当時大英帝国オスマン帝国は良好な関係を保っていました。その時にオスマン帝国イスタンブル駐在大使となったのがエルギン伯爵トマス・ブルースという人物。エルギン伯は当時オスマン領となっていたアテネパルテノン神殿の調査を始め、その過程でパルテノンの彫刻の保護と称してパルテノンの彫刻群を剥ぎ取り持ち帰ったのでした。エルギン伯としては領主であるオスマン帝国の許可は取ったから、違法ではないという主張だったけど、ギリシア人からすれば国民の象徴的な建物であり、自分たちの誇りであるパルテノンの破壊であり、略奪でしかなかったわけです。200年経った今でも、ギリシア政府はイギリスに対してエルギンマーブルの返還要求を行っています。

 

 僕にとって大英博物館パルテノン神殿の彫刻群は衝撃的だった。破風の神々の彫刻は人の形をした神々の生々しい体にまとわり付く薄い布、この質感はこれが石だとは思えない。さらにこれが2500年も前に作られたものとはとても思えない、そんな迫力で迫ってきました。

エルギンマーブルはその生い立ちに大きな問題はあるものの、パルテノンの彫刻を酸性雨の被害などから守りながら、その世界最高峰の彫刻を身近に、たくさんの人々の目に触れる機会を提供してきたという良い側面もある。僕もその恩恵を預かった一人だったのだし。

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でも、この2年後にアテネを訪れた時、無残に彫刻を剥ぎ取られたパルテノン神殿を見た。この時は、大英帝国を恨んだ。この話はいつかアテネの話をする時に詳しく書きたいと思います。

 

大英博物館 のもう一つの至宝といえば、このロゼッタストーン

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1799年エジプトのロゼッタで発見された、ギリシア文字とヒエログリフ(エジプトの神聖文字)とデモティック(民衆文字)の3つの言語で同じ文章を書かれた分厚い石板で、ヒエログリフの解読のきっかけとなった貴重なもの。ロゼッタストーンは最初、フランス人が発見した。当時エジプトを占領していたフランスが、砦の材料として使われていたのを偶然発見したのだけど、その直後にイギリス軍がエジプトのフランス軍を追い出した時に、言って見れば横取り的な状況で大英帝国が手に入れたのでした。発見から2年後の1801年には大英博物館での展示が始まっています。

この歴史的遺物はパルテノンの彫刻とはまた違い、その学術価値を感じない人にはただの石の塊でしかない。イスラムの人々にとってはギリシア文字だの、ヒエログリフだのは全く興味のない世界だったで、砦の材料になってしまった。その一方で、フランスとイギリスではロゼッタストーンを利用してのヒエログリフ解読競争が繰り広げられ、ロゼッタストーンの所有権についていまだに論争が続いているのだから、物の価値というのは本当にわからない。同時にその所有と、どっちの国が解読に貢献したかもいまだに争っているらしい。

世の中は「ロゼッタストーンはエジプトのもの」という風潮が支配的のようなのだけど(実際にそうなのだけど)、もう200年近くの間、ロゼッタストーン大英博物館にあり続ける。

 

 僕にとっては、パルテノンの彫刻「エルギンマーブル」とは違い、ロゼッタストーンが誰のものか、についての特別な思いはない。「歴史的言語学的にとても重要な石碑で大英博物館に行けばタダで誰もが見ることができる」それで十分じゃないか、とも思う。

大英博物館ルーブルも、ヨーロッパの名だたる美術館・博物館にあるものには略奪か、保護か、その生い立ちに疑問を挟みたくなるようなものが少なくない。けど、そこにある人類の至宝の数々を眺める時は、そんな感情なしに純粋な時間を過ごしたいな。

 

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