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旅行の記憶と何気ない日常を

エジプト 〜ギザ

エジプトの硬貨にはギザの三大ピラミッドが描かれていて、反対面のカリグラフィーのデザイン性の高さと一緒に、とても誇り高い硬貨です。 

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紀元前2500年頃、今から4500年前の古王国時代にこのピラミッドは建造されました。

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黄金比をまとった端正な姿、東西南北に正確な配置、巨大な膨大な数の石を正確に切り出し 積み上げていった建築技術、このピラミッドの凄さは色々あるけれど、ギザでこの姿を目の当たりにすると、「うぉーーーーーー!!」という叫びしか出てこない。

一体なんなんだ!?その姿に圧倒されて、「うぉーーーーー!!」としか言葉が出てこないのです。


エジプトには6000年歴史があります。紀元前4000年には王政が始まって、以降大雑把には古代エジプトと呼ばれる4000年間は原始王国、古王国、中王国、新王国、プトレマイオス朝ローマ帝国領。。と変遷していく。原始王国からプトレマイオス朝の直前、紀元前5世紀頃に10年ほどペルシアに支配されるまでの間3500年間はずーっとエジプトの王国が続いていたというのだからすごい。その後アレクサンダー大王がペルシアを追い出した後、ギリシアの血が入ったプトレマイオス朝となり、やがてローマ皇帝直轄領となり純粋なエジプトは潰えたけど、その3500年間は当時の世界の先進国として君臨していました。

 

 

ギザの3大ピラミッドはクフ、カフラー、メンカフラーの3人の王のピラミッド。エジプトには他にもたくさんピラミッドが建造されたけど、この3大ピラミッドが最も完成された形です。

最大のピラミッドが上の写真の左側、クフ王のピラミッド。古代の盗掘者がこじ開けた穴から入って、内部を見学できます。僕も盗掘者気分で中を進み、有名な大回廊、王の間で棺といわれる石の棺桶?を触り、狭い狭い穴を這いつくばりながら進み、その上の重力拡散の間まで行きました。

その重力拡散の間といわれる小さな空間には、4000年に渡っての盗掘者、探検家、観光客の落書きが溢れていました。が、その中にひとつだけ建設当時に書かれた落書きがあり、それのおかげでこのピラミッドがクフ王のものだとわかった、といわれています。

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この一つ一つ大きな四角い石を切り出し、運んでここに積み上げた。ただ積み上げただけでなく、数学的に安定した形、正確な方角本当に、古代のエジプト人が作ったものなのか?そもそもピラミッドがなんのために作られたのか未だにわかっていない。王の墓なのか、公共事業によるモニュメントなのか、宇宙との交信のためか、はたまた。。。説と異説が重なり合うように現れては消え未だに決定的なものはない。

でも、謎のままでいいじゃないか、と僕は思う。

 

そしてスフィンクス

体はライオン、頭は人間の姿で当時死者の国と呼ばれた西方(冥界の入り口)の守護者として歴代の王に信仰されていました。

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石灰岩の丘を掘り下げて、一枚岩から作られた像。胴体の横縞模様は石灰岩の地層がそのまま見えている。完成直後から風化が始まり、色々な時代を超えて過去何度も修復がなされてきました。古代のエジプトの王によって、ローマ人によって、ナポレオンによって、そして現代の考古学博物館によって。

 

定説として紀元前2500年前カフラー王のピラミッドと同時期に建造されたといわれています。この写真の通り、カフラー王のピラミッドとスフィンクスは連携した位置関係にあるので、その説は納得できる。

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でも、ピラミッド以上にスフィンクスの出自には諸説あって、色々な話が出ては消え。

顔がエジプト人っぽくないから、エジプトが起源のものではない、とか、胴体に水が侵食した痕らしきものがあるから、もっと紀元前1万年の古い時代に作られたものだ、とか。

間近でスフィンクスを眺めると、細かな特徴からいろんな説が出るのがなんとなくわかる。でも、こちらも謎のままでいいじゃないか、と僕は思う。

 

 

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文字で文書をエジプト人が残したから、それをロゼッタストーンで解読したから、エジプトの歴史はかなり正確に把握されているようだ。でも、このギザの3つのピラミッドとスフィンクスはまだまだ沢山の謎を残したまま。

 

謎のままだから余計にこのギザのピラミッドを見ると「ウォー」っと叫びたくなるのかもしれません。いつなんのために作られたのか、そんなことはどうでも良いと思わせる、ギザはそういう場所でした。

 

 

 

ギザのピラミッドは市街地のすぐ脇、砂漠の端っこにあります。

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ピラミッドの向こう側は果てしない砂漠

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 ギリシアの歴史家ヘロドトスはエジプトのことを「ナイルの賜物」と書き記しました。

次回はナイルの賜物の話を。

 

 

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