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エジプト小話 〜墓造り職人

その昔、古代文明の遺跡は奴隷による強制労働で作られた物だというのが通説でした。

でも色々な考古学上の発見によって、ピラミッドもテーベの墓も強制労働によるものではないことがわかっています。エジプトに限らず、どこの国でも古代の一般市民の生活に関しての体系的な記録というのはなかなかないので、普通の人々がどういう暮らしをしてたの意外とかわからない場合が多いと言います。

 

テーベでは墓職人という職業が存在したことがわかっています。王家の谷のファラオの岩窟墓はこの墓職人達が代々作り上げていました。実はこの墓職人達の生活が結構細かいことまで判明しています。

 2DK〜3DKの家に住んでいたとか、どんなものを食べていたか、家計はどんなだったか、どの神様にどんな祈りを捧げていたか。

また、仕事についても、ファラオの墓の作り方の詳細、工事手順や石工、漆喰職人、図工(絵描き)といった職人構成、彫師が青銅のノミでヒエログリフを彫ったとか、誰と誰がどんな揉め事を起こしたか。労働は1日4時間、2交代制、8日働き2日休むというサイクルだったとか。

給料はエンマー麦とビールを作るための大麦で受け取りますが、時々、肉や野菜、陶器をもらうこともあったようです。

 

なぜこんなことがわかるのか?

それは王家の谷近くで発掘されたデル・エル・メディーナの遺跡で見つかった陶器の破片のおかげでした。

デル・エル・メディーナはアメンへテプ1世が作った墓職人の村。職人達は代々ここに住み、王家の谷へ通勤して400年もの間ファラオの墓を作り続けたのです。

墓造り職人の住んだこの遺跡で見つかった大量の陶器の破片は「オストラコン」と呼ばれる、いわば万能のメモ。この陶器片に人々は様々なことを書き記したのでした。上に書いたような生活の詳細はこのオストラコンのメモから分かったことでした。このオストラコンのおかげで、3500年前の墓造り職人たちの生活が活きいきと蘇ったのでした。

この人たちは王の墓を造る高度の技術は持っていたものの、いわゆる普通の人たちです。普通の人たちが職業として墓を作る。ビジネスとしての墓造りだったわけです。

 

デル・エル・メディーナのオストラコンにはこんなことも記されていました。

ラムセス3世の給料の支払いが滞ったため、ストを起こした」

強制労働どころか、ファラオと対等に渡り合うほど健全なビジネス関係にあったということです。そしてストを起こすくらいなので、自分たちの仕事に相当の自信と誇りを持っていたということです。何だか嬉しい気持ちになります。

 

墓造り職人達は420年の間に60余の墓をつくりました。そこに自分たちの名前は刻まないけれど、間違いなく彼らがファラオと共に生きた証として3500年たった今もなお存在する。すごいことだ。3500年も残る仕事、とても憧れます。

 

参考:エジプト・大ファラオの帝国(日本放送出版協会

エジプト・大ファラオの帝国 (NHK 大英博物館)
 

 

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