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エジプト小話 〜ミイラと死生観

上野でミイラを見た。

小学生低学年の頃、父に連れられて上野の国立科学博物館へ恐竜の化石を見に行った時に、僕は初めてミイラに出会った。あの時の衝撃は強烈だった。初めてみたミイラの姿はちょっと刺激的すぎてしばらく頭から離れることがなかった。当時はただただ恐ろしかった。

ミイラは古代エジプト人が来世での復活を信じて、その肉体を保存した物。人が死ぬとミイラ師と呼ばれる専門職人が肉体を伝統の方法でミイラに変えるのです。

 

古代エジプトでは現世の死は肉体の死に過ぎず、肉体の死は永遠に続く来世の始まりと考えられていました。エジプトの死後の世界は「死者の書」に詳しく記されています。

冥界の旅・死後の世界を渡り歩くための指南書である「死者の書」によれば、

人は死ぬと肉体と精霊と魂に分かれ、肉体と精霊はミイラとなって永遠に残り、魂だけが冥界の旅に出る。冥界の旅では様々な悪魔に邪魔されるのだけど、死者の書にはその魔物をやっつける呪文も記されている。また、永遠の幸せな来世を手に入れるための儀式の手順も解説されていて、死者の書を理解していれば、死んだ後、冥界で迷うことなく旅することができるのです。

しかし永遠の来世を手に入れるには、魔物をやり過ごした後「最後の審判所」に辿り着いてエジプトの神々の前で自分が罪を犯していない潔白な魂であることを証明しなければなりません。

 

まずは告白の儀式で自分の無実を説明、神々を説得しなければなりません。

 

ファラオも含めたエジプトの人々は現世ではこの時のために、罪を犯さないように品行方正に生きる。うっかり犯してしまった罪も、告白の儀式で見逃してもらえるように普段から多くの神々にお供えやお祈りを捧げなければならないのです。それを怠ると、神々の捌きによってそこで冥界の旅が終わってしまうのです。

 

告白の儀式をなんとか切り抜けても、次に天秤の儀式が待っています。

冥界の天秤に死者(自分)の心臓をのせる、もう一方に真理の女神マアトの羽をのせます。もし、マアトの羽より死者の心臓が重いと「告白の儀式で嘘をついた」と、アメミトというワニ頭の怪物が現れ心臓を食べられてしまい、死者の魂は火の地獄へ落ち、永遠に来世には行けないことになってしまうのです。

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参考 死者の書「アニのパピルス」部分 大英博物館

 

天秤の儀式でマアトの羽と心臓が釣り合うと、「声正しき者」と認定されオシリス神から「アンク」と呼ばれる来世の鍵をもらい、イアルの野と呼ばれる来世の楽園で幸せに過ごすことができるのでした。

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自分のお土産で買ったピラミッドの真ん中にある頭が丸い十字架ようなものがアンク

 

 

これが、古代エジプトの死後の世界。

 

そんな死後の世界が待っている古代エジプトの人々は、冥界の告白の儀式を乗り切るために、普段から最後の審判の主神であるオシリスと心臓の計量係であるアヌビス神には特に手厚くお供えとお祈りを捧げました。そして、天秤の儀式をパスするために、そもそも現世では品行方正に生き、罪など犯してはならない、という教えとなって浸透して、大半の人々は秩序を守ったのでした。

本来辛く悲しい死を前向きに考えられるように死後の世界に幸せな来世を作りあげた。そのために正しく現世を生きなさいと。

 

古今東西色々な死や生に対して考え方があるのだけど、この古代エジプトの死生観もなかなか素敵じゃないかと思うわけです。

 

こんなことを知れば知るほど、「大半の人」ではない人、死者の書なんぞ臆することなく暗躍した盗掘者というのがどんな考えを持った人たちだったのか、単なる悪党だったのか。僕は何かもっと深遠な背景があるような気がしてならないのです。人類の宝を独り占めして、破壊もする盗掘はダメです。許せません。でもエジプトの盗掘者が一体どんな人たちだったのか、とても知りたい衝動に駆られます。知る術はないんですがね。

 

p.s.

去年の春、小学生の娘達を連れてルーブルへ行った時に古代エジプトの展示コーナーでミイラを見せてやりました。さぞ怖がるだろうと思ったのですが、意外とケロッとしていてちょっと拍子抜けでした。

 

 

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