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エジプト 〜エジプト考古学博物館 (カイロ博物館)

エジプト考古学博物館 (カイロ博物館)ができるまで

支配下に置きながらエジプト古来の文化を温存したローマ帝国が衰退して、エジプトがイスラム教国家になった時、古代エジプト文明は潰えて、いったん歴史から姿を消すのです。毎年のナイルの氾濫と砂漠の流砂で古代遺跡達は砂に埋れて、古代エジプトは忘れられてしまいます。

再び古代エジプトが表舞台を賑わすようになったのは1800年頃のナポレオンのエジプト遠征がきっかけです。ナポレオンはピラミッドを、砂に埋れたスフィンクスを見つけルクソール神殿オベリスクを見つけました。フランス人はスフィンクスを掘り起こし、ロゼッタで見つかったヒエログリフとデモティック(民衆文字)とギリシア文字が書かれた石塊、いわゆるロゼッタストーンを発見したり、多くの古代エジプトの遺産を掘り起こしました。ロゼッタストーンそのものはイギリスに持っていかれたけどヒエログリフの解読を初めて成し遂げたのはフランス人のシャンポリオンでした。フランス人を中心に古代エジプトが復活し、多くの人を知的にも肉体的にもエジプトに引き寄せたのでした。

エジプトで最初の大規模発掘を行なったのはフランスの考古学者、オーギュスト・マリエット。彼は1850年ルーブル美術館から派遣され、泥や砂に埋まった多くの遺跡を発掘と収集し保護しました。また当時、発掘品の海外流出が非常に多かったので、その防止・管理も進めたマリエットは古代エジプト復活と保護に重要な役割を果たしました。

そして、マリエットは多くの出土品を収めるため、また発掘品がエジプト国外へ流出しないように博物館を、現在の考古学博物館の前身を創設したのです。その後も代々フランス人がマリエットの仕事を受け継ぎ、1902年にこの建物(下写真)に移りました。

中央のアーチに胸像がマリエットが。建物としてはとてもフランス的なのですが、彫像のスタイルがエジプト風なのでとてもエキゾチックな印象を醸しています。

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1952年以降はエジプト人の学者たちがその精神と貴重で膨大な考古学遺産を受け継ぎ、現在古代エジプトの発掘品を中心に20万点もの収蔵品を収める博物館となっています。 

 

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これは当時の入場券(10エジプトポンド)

 

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これは当時買った、現地の図録(日本語版) 

 

収蔵品はギザの三大ピラミッドを造ったクフ、カフラー、メンカウラー王の像はじめ、 歴代ファラオの像、ラムセス2世のミイラ、と言った輝かしい有名人たちの出土品から、一般市民の生活を窺い知るもの、パピルスに描かれた活きいきとした絵画まで多岐にわたり、エジプト文明の懐の深さを知ることができます。

 

その一部をこの図録を使って、僕の視点から少しだけ紹介します。

 

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 図録より。紀元前2400年頃に作られた書記の像。

一点を見つめて膝に広げたパピルスに記録しようとしている姿。1850年にマリエットによってサッカラで発掘されたもので、同時期に発見された別の書記座像がルーブルに納められている。この姿、眼差し、これがどこの誰かはわからないのだけど、つい引き込まれてしまいます。

 

古代の絵画

下の写真、左のページのものは、いかにもエジプトという感じの絵で、副葬用に描かれた死者の書からの引用を描いたものと、女神ヌトを古代エジプトの様式で描かれたもの。驚くのはこれが3500年前に、紙(パピルス)に描かれたものだということです。パピルスの保存力と紙の上の色彩がそのまま残って今に伝わっていることに心震えます。

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同じく図録より、エジプトの絵。

 

そして右は宮殿の床に描かれていたという絵。

下はギザにピラミッドが建った頃(4500年前)に描かれた鴨の絵(図録より)。

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これはお墓の中に漆喰に描かれた、いわゆるフレスコ画。この二つの絵からは、フレスコ画の絵の保存力もすごいということと、エジプトの絵というと、上のパピルスに描かれた、神様とか死者の書のような、様式に倣ったものを連想してしまうのだけど、3500年前、4500年前にも絵描きや絵が好きな職人がいて、感性のまま写実的な絵を残した人たちがいたんだということに、魂が揺さぶられます。

 

 

そして、エジプト考古学博物館の目玉はなんと言ってもツタンカーメンの王墓の副葬品たち。治世の短かったツタンカーメンの墓はとても小さいのだけど、その小さな部屋に溢れんばかりの副葬品が詰め込まれていた。その大量の副葬品の大部分が考古学博物館に展示されているのです。

最も有名な黄金のマスクから黄金の棺からカノピス壺(死者の内臓入れ)から胸像、立像、イスのような日用品、アクセサリー類等々。これらほとんどが黄金。

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図録より、ツタンカーメンの黄金のマスク

テーベの王家の谷で何度も書いたのでしつこくなるのですが、

治世僅かなこの少年王の副葬品がこれほどのコレクションになるのだから、治世70年近くのラムセス2世の王墓がもし盗掘に遭っていなかったら、どんな墓とどんな副葬品を見ることができたのだろうかと想像膨らみます。

そしてその副葬品を狙った古代の盗掘者の存在、今回考古学博物館で見つけた古代の写実的な絵描き達のような、決まり事を外れて自分の思うように生きた人がいたことを知ると、3千年、4千年の時間が隔たっていても、人間の本質って変わらないんだなと、嬉しくなります(盗掘はダメですなんですが)。

 

これらコレクションの多くはギザのピラミッド近くに新しくオープンする予定の「大エジプト博物館」に移される予定とのこと。今の博物館の建物ができて120年。エジプトの歴史からするとあっという間の短い間でしたが、偉大なエジプトの軌跡を守って次の世代に繋いだフランス人マリエットの功績はとてつもなく大きい。

 

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