「私はホーエンシュバンガウの古い城の廃墟に新しい城を建てようと思う…
そこは見つけうる限り最も美しい場所です」
これはノイシュバンシュタイン城の創造主である19世紀のバイエルン国王ルートヴィヒ2世(1845-1886)が、親交のあった作曲家ワーグナーに宛てた手紙の一節です。
ルートヴィヒ2世は若くしてバイエルン王国(現ドイツ南部、バイエルン州)の王位についた。国民に愛された王は、良き国を作ろうと善政に邁進したものの、やがて政府に利用され、失望し、最後は湖のほとりで謎の死を遂げるという数奇な人生を送りました。
ルートヴィヒ2世はその短い人生の中でバイエルン州のあちこちにいくつかの建物を残しており、そのどれもが華麗で建築として高く評価されています。
その中でこの「見つけうる限り最も美しい場所」に建てられた城がノイシュバンシュタイン城です。ノイシュバンシュタイン城はルートヴィヒ2世の遺作であり、未完の城なのです。
この白亜の城はバイエルンの森にひっそりと佇み、その姿は名前の通り白鳥が羽を休めているようです。
この建物の素晴らしいところは、周りの自然にとけ込み、また自然を引き立てつつ、控えめながら実に優雅に存在していること。たくさんの建築を見てきましたが建物と自然が見事に調和している数少ない例ではないかと僕は思うのです。
人が作るものと自然の調和というとても難しく、街並みにとける建物はあっても、自然にとける建物はそうはありません。
自然に調和できる建物の代表格として、日本の仏閣建築があげられます。山や森など自然の中にある仏閣建築の場合、どちらかというとおとなしく自分は目立たず自然をたてる、という感じがします。
ノイシュバンシュタインの場合、城自身も主張しながら周りの木々、山々を引き立て、また逆に引き立てられつつ存在します。
ノイシュバンシュタイン城とホーエンシュバンガウの自然の調和。
ここは僕にとっても「見つけうる限り最も美しい場所」なのです。
ルートヴィヒ2世はノイシュバンシュタインを「完璧なる中世の城」として、また美しく見えるようにデザインすべく各地の名城の設計図をかき集め、自らデッサンを書き上げたと言います。
美しい城が生まれた背景には、過去の名城の良い部分を咀嚼して創造したという以上に、ルートヴィヒ2世の「ホーエンシュバンガウ」というこの場所と、そこにこれから作ろうとする自分の城への思い入れの強さがあったからだと思うのです。
でも過去を知る人々は「ルートヴィヒ2世の狂気の産物としてこの城は生まれた」と言います。それは取り巻く人間を嫌い、現実世界から、汚れたものから逃避するために、ひたすら美しいものを生み出したいという執念がこの城を生み出したのだと。狂気にも似た美しさへの執念がぐるっと回って、驚くほどホーエンシュバンガウの自然と調和する美しい城が出来上がった。そうだとすると「ルートヴィヒ2世の狂気の産物」という見方もできるのかな。
でも、実際のホーエンシュバンガウの自然とこの城の姿からはそんな暗い背景は微塵も感じることはありません。僕がここを訪れるときは、ノイシュバンシュタイン城とそのまわりの世界のすばらしさを全身で感じるだけなのです。
そうさせてくれるのはルートヴィヒが自分のなかの美しい部分のすべてをこの城に注ぎ、醜い部分をすべて背負って死んでいったからかもしれません。