ホーエンシュバンガウを訪れる人には主に2つのタイプがあります。
ひとつはシュバンガウの山や湖などの自然を楽しむためにヨーロッパ各地から来る長期滞在者、もう一つはノイシュバンシュタイン城目当ての観光客です。人数としては圧倒的に後者が多く、その場合のほとんどが日帰りとなるようです。昼間に車や観光バスで乗り付け、ノイシュバンシュタイン城内を見学して、だいたいマリーエン橋からの眺望を眺めて夕方帰る、というケースがほとんど。
僕の場合は上のどちらにも属さない、欧米人ほど休みは取れないから長期滞在はちょっと無理だけど、日帰りでは物足りないというケースで大体2,3日ホーエンシュバンガウで過ごすパターンでした。
ここを訪れるほとんどの人が日帰りであるお陰で、あれだけごった返していた村の通りや駐車場など、ホーエンシュバンガウの村は夕方になると嘘のように静まり返るのです。
初めてホーエンシュバンガウを訪ねた時のこと、夕方外を歩いていると、まだあたりが暗くなる前だったのに村には人がほとんどいなくなってしまいました。あれだけごった返していた駐車場も寂しいものでした。そうすると、当然ですがお店も閉まります。ホテルの外で何か食べようと出たのだけど、焼きソーセージスタンドはもちろん、元々少ないレストランも閉まっていて仕方なく、ホテルに戻ったのを憶えています(でも「仕方なく」のホテルでの食事は、これはとても美味しく思い出深いものとなりました、この時の話はまた後ほど)。
ホテルで夕食をすませたあと、僕は夜のノイシュバンシュタインの姿を見ようと再び外に出たのでした。
僕は旅先で好きなもの(建物や景色)を見つけるといろいろな時間、いろいろな角度から眺めないと気が済まなくなります。朝、昼、夕、夜また天気によって太陽光の当たり方が変わりいろいろな表情を見せる、そのできるだけたくさんの表情を見たくなっていてもたってもいられなくなり、ホテルの部屋でじっとしていることができなくなります。また夜であれば、ヨーロッパの場合こういった建物には”夜のライトアップ”がつきもので、さらにヨーロッパではその風景、建物に合った照明がとてもよく考えられていて自然光にも負けないくらいの効果で素晴らしい景色を作ることが多いのです。なので僕はノイシュバンシュタイン城のライトアップがどんなことになっているのか、とても楽しみにしてました。でも、その一方でさっきの村の様子、全く人がいない様子を体験した時に、そもそもライトアップしても誰が見るのだろう?つまりライトアップはないかもしれない、と少し不安を抱えながら夜の村に出たのでした。
ホテルを出て、ホーエンシュバンガウのメインストリートであるアルプゼーシュトラッセ(アルプ湖通り)に出てすぐ視線を上げると、ノイシュバンシュタイン城はライトに照らされ静かに山の上に佇んでいるのが見えました。
この日の夜は天気も良く、空気は冴え渡り、きれいな三日月が夜空に浮かんでいました。そんな空気の中でノイシュバンシュタインは輝いていました。白亜の城は、少し青みを帯びた色に変わっていました。月夜に透き通るような、ガラスの城のように幻想的に輝いていたのでした。
この時、ノイシュバンシュタインの神秘的な姿に見入ってしまったのと、改めてヨーロッパのライトアップの、センスの確かさに感心してしまった次第。この姿を見る人が、(僕の知る範囲では)誰もいないとは、なんて勿体無い。ホーエンシュバンガウの最初の日はこんな風に終わったのでした。
そして次の日、夕方から降り出した雨は、夜はただでさえ人が少なく寂しい村を、もうどうにもならないほどの寂しい村に変えていました。
僕はそれでも傘をさして街灯もほんのまばらなホテルの外に出て城の姿を確かめに行きました。そこで見たものは昨日とはまたまるで違うものでした。
青白く光るガラス細工のようだった昨夜の姿から、雨の中でモヤモヤっと淡く光る様子、小高い山の上でぼぅっと輝くその姿は、雨の効果もあってか、まるでゆらゆらと静かに青く、控えめに燃えるろうそくの炎のようでした。ノイシュバンシュタインのあの姿は文字では表しきれない、とてもきれいな姿だった。幻想的だった。
僕は結構な雨の中少し歩いて、城がよく見える場所、もう閉店している土産物屋の小さな屋根の下に入って雨を凌ぎながら、しばらくの間、山上のろうそくの姿を眺めました。ぼうっと佇み、ゆらゆら静かに燃えるようなノイシュバンシュタイン城のその姿を、雨も、寒いのも忘れて過ごしました。その”幻想の世界”に迷い込んだような、とても贅沢な時間は、この城を建てたルートヴィヒ2世の魔法だったのかもしれません。