cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

スイス レマン湖畔 〜ジュネーブ

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永世中立国スイスの第二の都市、ジュネーブ

知名度的にスイスの首都=ジュネーブと思ってしまうのですが、スイスの首都はベルンなのです。

近代は国際都市ジュネーブとしての顔がすっかり定着していて、第2次世界大戦以前は国際連盟の本部があり、大戦以降、現在でも国際連合の欧州本部や国連に関係するWTO、WHOといった各機関、国際赤十字の本部など数えきれない国際機関の本部や施設がジュネーブに置かれています。なので、国際的にも「スイスといえばジュネーブ」のような印象が強いのです。

実際これだけの国際都市になっているので、すぐ隣のフランスはじめ、各国からのビジネスマンや出稼ぎ労働者が大勢集まってきます。よってそこで働く人もそこで暮らす人々も多種多様、「ジュネーブはスイスであって、スイスじゃない」というにも風にも言われています。

 

僕にとって、ジュネーブといえばこの大噴水。

1886年に完成、高さ140mまで一直線に水を吹き上げています。

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 ただ一直線に水を吹き上げているだけなのですが、このとてもシンプルなことを豪快にやっている、とても単純でとても潔くてとても気持ち良い。これがこの噴水の魅力。

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大噴水の噴き出し口に接近。1000馬力以上の力で噴き上げる噴水には、堤防をつたいかなり近づくことができます。

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噴水を真下から見上げるとこれがまた大迫力。噴き出され、しぶきになって落ちていく水の姿、時折現れる虹、これがいつまで見ていても飽きない。たかが噴水、されどこの大噴水は特別ですね。

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この噴水、わずかに角度がついているので、普通は観光客が来れる堤防側には水しぶきは落ちてこないようになっています。しかし風向きが悪かったりすると、吹き上がった水を丸かぶりとなってびしょ濡れになったりもするので、吹き出し口を見にいくときはちょっとした覚悟が必要です。

 

ここはレマン湖からの「ローヌ川」への注ぎ口、ローヌの起点です。

レマン湖とこのローヌの水は驚くほどきれい。川底がくっきり見えるような透明度の高い水がエメラルド色に輝きながら流れていきます。川底の水草が流れにゆられる姿がとても印象的でした。

ローヌ川はここからフランスのプロバンスを抜けて地中海に至ると思うと感慨もひとしお。

フランスのアルルで見たローヌ川、その出発点がここなのだから。

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ここにはモンブラン橋がかかり、中央の木立のある人口の小島「ルソー島」があります。

ここにはジャン=ジャック・ルソーの像が立っています。

ジャン=ジャック・ルソーは日本の中学の教科書にも登場する、「社会契約論」や「エミール(教育論)」などを残して、ヨーロッパ社会に大きな影響を残した哲学者(に分類されるらしい)で、その思想は後のフランス革命へとつながっていく。フランスで大きな役割を果たすのだけど、1712年にここジュネーブで生まれた人物です。ジュネーブにはルソーの生家も残されているそうです。

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レマン湖から街を歩いてみます。 この辺りは高級ブランド立ち並ぶ、近代的な街並み。

 

ラ・トゥール・デュ・モラード(La Tour du Molard)

近代的な街並みの中、古い建物に時計を備える味のある一角がありました。

元々この辺りはレマン湖に面した港として機能していて、この「モラードの塔」は軍事目的で建てられてものでした。時計を備える今の形になったのは1591年というから400年以上ここにあるということになります。

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ヌーヴ広場(Placs de Neuve)

周囲には劇場、大学や音楽院、美術館、公園があり、ジュネーブの文化の中心地と言われる広場です。

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丘をどんどん進んでいくとやがて緑が行く手を阻みます。振り返るといつの間にか丘をずいぶん高いところまで登ってきたんだなあと思っていたら、ジュネーブ大学まで来ていました。

緑の芝が広がるここは、ジュネーブ大学の横、バスティオン公園(Parc des Bastions)。1817年にできたというジュネーブで一番古い公園。

 

敷地の奥には宗教改革記念碑があります。

長さ100mほどの巨大な碑で、宗教改革の中心人物4人の像が立ちます。

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この記念碑、正面からよりも脇(横)から眺める方が絵的にきれい。

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宗教改革という大きな波は16世紀に起こったのだけど、その前兆は15世紀にあったと言われています。ちょうどこの頃は「暗黒の中世」と呼ばれた時代の終末期、イタリアではルネサンスが起きた頃、人々の思想が自由へと一気に解放しようとする頃でした。 

当時のキリスト教世界は堕落してしまっていて、現生の罪は「贖宥状」を購入することで許されるとされたことに象徴されるように、ローマ教皇を頂点とするカトリック世界は世俗化・金まみれの状態にありました。そういう時代、宗教改革はローマ教会を批判することから始まります。ドイツのルターが動き、チューリッヒのツヴィングリが動き、そしてジュネーブでもファレルが起こした改革運動にカルヴァンが加わりプロテスタントの誕生という大きな波を起こします。そして宗教改革の波はイギリスへ、フランスへ、北欧にも広がっていき、ジュネーブは「プロテスタントのローマ」と呼ばれるようになるのです。そして、ローマ・カトリック教会自身もこれをきっかけに改革を行うことになるのでした。

そんな宗教改革の記憶として、プロテスタントの指導者カルヴァンの生誕400年を記念して完成したのがこの記念碑なのです。

 

この公園の一角にはこんな巨大チェスを楽しめる場所もあります。

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レマン湖から高台にある教会に向かって歩くと旧市街に出る。ここは湖畔の近代的、リゾート的な街づくりとは反対に、古いヨーロッパの街並が残っています。やっぱり僕はこういう街並みの方が好きです。

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坂の多い細い路地をくねくね進むといろいろな、暖かな風景に出会えた。

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トラム(路面電車)に乗り、少し郊外へ出る。20分も行くとまた、全く違ったジュネーブの街並みが現れました。湖畔とも旧市街とも違う、のどかだけど洗練されたい街並みが郊外には続きます。

トラムを降りて、散策しながらレマン湖の方へ歩いて帰ることにしました。

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写真はマルシェというトラムの駅の辺り。この辺りは今まで見てきたジュネーブレマン湖畔のリゾート色の濃い街並みとも、旧市街の中世ヨーロッパ的な街並みとも違う、素朴でちょっと生活のにおいが感じられる、そんな所でした。

 

途中でアルブ川に遭遇です。

ヨーロッパアルプス最高峰、モンブランから流れ出る川。氷河からの水なので石灰質が多く、水は白く濁っていて、レマン湖から流れ出るローヌ川とは対照的。地図を見るとアルブ川はジュネーブを出てすぐローヌと合流する。レマン湖を流れ出るときは透き通っているローヌもプロバンスのアルルにつく頃はずいぶん濁っているのはこのためなのかな?

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このアルブ川を渡ると素朴な街並みは一気に都市ジュネーブに変わるのでした。

 

ジュネーブには6年隔てて2度ほど滞在したのですが、スイスでありながらスイスではないと言われる所以、国際都市であることが改めてよくわかった。また、宗教改革記念碑見たり、旧市街を歩いたり、トラムでちょっと郊外を歩いてみて、ジュネーブって奥深い街だなあと、改めて思ったのでした。

 

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