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ジュネーブ小話 〜スイス人のスイスとローマ

 f:id:fukarinka:20200405104251j:plain僕は最初にスイスに行った頃、ローマとスイスの繋がりは全くわかっていませんでした。

でもスイスを旅していると(というかヨーロッパ各地どこでも)大体ローマの何かに出会うのです。ローマの広場跡、ローマの浴場跡、神殿の円柱やその土台といった遺跡や碑文。。。当時なんでだろう?と不思議に思ったことをきっかけに、その後ローマ史を勉強するようになり色々なことが「なるほど!」と思うようになっていくのです。

 

スイスとローマにはとても重要な関係がありました。

もしローマ人がいなかったら、もしユリウ・スカエサルガリア遠征に行かなかったら、今この場所にジュネーブという都市も、スイスという国もなかったかもしれない。

 

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ユリウス・カエサルは紀元前1世紀に生きた、古代ローマで国家の父と呼ばれた人物。ローマの歴史は長く、その過程で国の形を何度も変えることになるのですが、現在のヨーロッパの元となる、またローマをローマとして現代に残すことになる「ローマ帝国」を創造したのがこのユリウス・カエサルという人物です(この辺の詳しいことはいつかイタリアを語る時に・・・)。

 

ローマ帝国への序章としてカエサルは「ガリア」現在でいうフランス、スペイン、イギリス、スイスの地域をローマに組み入れるため「遠征」を行います。この時の遠征の様子を、本国ローマに報告するために書いた(正確には口述筆記なので書かせた)のが「ガリア戦記」。

この「ガリア戦記」は今でも本屋さんに行けば、「カエサル著」の文庫本として数百円で購入できます。なんでそんな昔の戦役の報告・記録が本屋に並ぶのかというと、確かにただの報告書なのだけど、その中身がガリア地域の文化風習や自然の克明に客観的で正確な記述がされている重要な資料であること、またそれ以上に、その文体・記述が発行されてから二千年以上にわたってラテン文学の最高峰として位置付けられているからなのです。

 

そのガリア戦役の最初のエピソードにスイス人が登場します。

 

紀元前1世紀、ゲルマン(ドイツ)人の侵略に耐えかねて、西への移住を始めることにしたヘルウェティ族(現スイス人)。そのために最初に民族全体が集合した場所がこのジュネーブでした。

ガリア戦役では、カエサルはこのヘルウェティ族の移動がガリア全体の混乱に繋がるため、ジュネーブを出て移動を始めたヘルウェティ族をスイスの地に戻し、ゲルマン人を抑えて彼らの安全を保証しました。つまり、カエサルの遠征がなかったら、スイスはスイスではなかったかもしれないのです。

 

現在のスイスの公式国名はラテン語でConfoederatio Helvetica(コンフェデラティオ・ヘルヴェティカ)。直訳すれば「ヘルウェティの連合」でしょうか。スイスのカントリーコード「CH」はここからきています。

スイスは1291年に同盟国家として誕生して、1848年に連邦制が敷かれるようになり今に至ります。

  

きっと今と変わらない山やレマン湖の同じ景色を2千年前のスイス人やカエサルや他のローマ人たちが見ていたに違いない。そう思うと今の湖畔の景色もちょっと違って見えるから不思議です。

ましてやここがスイス人の国でなかったら、スイスでなかったら、なんて想像したくもありません。。。

 

 

ガリア戦記 (岩波文庫)

ガリア戦記 (岩波文庫)

 

 

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