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スイス小話 〜中立国スイスの生い立ち

f:id:fukarinka:20200414180849j:plainスイスといえば、アルプスの壮大な自然とそこに広がるリゾート、高級時計、美食、チョコ。。なんだか華やかな側面を持ちながら、その一方で4つの公用語をもち、永世中立国という立場を貫き、かつては各地の紛争に傭兵を派遣し、現在もなおバチカンの衛兵を勤め続けるという、ヨーロッパの国の中でもちょっと異色な存在感を放っています。

なぜそんな異彩を放つのか、その辺を紐解いてみようと思います。

 

そもそものスイス人

現在のスイス周辺には紀元前1世紀頃すでにガリア人部族であるヘルウェティ族が住んでいて、現在のスイスの正式名称Confoederatio Helvetica(コンフェデラチオ・ヘルウェティカ)の由来にもなっている。このヘルウェティの人々が元祖スイス人。

ローマのカエサルによるガリア戦役によって、ローマの属州となりローマの覇権下に入ることになります。このローマ属州化によって、街のインフラが整備され文明国としての飛躍をすることになるのです。

 

4つの公用語

やがて5世紀にローマ帝国の力が衰退すると、この時にアレマン、ブルグント、ラエティ、ランゴバルドというゲルマン系の4つの部族がスイスに侵入してきます。彼らが使っていた言語がドイツ語、フランス語、ロマンシュ語、イタリア語でこれが今に続くスイスの4つの公用語の始まりになります。

公用語が多いので、列車にかかれる「スイス国鉄」の表記も多くなります。どれが何語かわかりませんが、3通りです。

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その後いくつかの国に入れ替わり立ち代わり支配下に置かれ、11世紀には神聖ローマ帝国ハプスブルク家)にスイス全土を支配下に置かれることになります。

 

スイス建国

ハプスブルク家から自治権を勝ち取ったウーリ州シュヴィーツ州ウンターヴァルデン州の3州は、1291年に自由と自治を守るための永久同盟(リュトリの誓い)を結びました。これが現在のスイス連邦の原型。ちなみにこの時期にハプスブルク家の圧政に反抗の口火を切ったウィリアム・テル英雄伝説が生まれます(下の写真はVictorinoxのスイス建国700周年記念モデルのナイフ)。

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中立と血の輸出

15世紀にはハプスブルク家との戦いに勝ち、神聖ローマ帝国から事実上の完全自由独立を勝ち取ることになります。さらにその勢いでやめとけば良いのにフランス、イタリアに対して領土拡大の戦いを挑みますが敗れます。でも、このことによってスイスは「中立」の道を歩くことを決めるのです。国土の大半が山岳地帯で農業も産業もなく輸出できるものがない。そんなスイスを国として維持するためにとったのが、「傭兵」という形の「血の輸出」。

15世紀頃から18世紀にかけて、スイス人傭兵が各地で活躍し大きな戦果を上げるようになります。多くの国がスイス傭兵獲得に動きあちこちの紛争地でスイス傭兵が活躍し、また血を流すことになるのでした。スイスとは直接関係ない争いに参加して血を流して命を落としたスイス人が大勢いたという、とても悲しい現実でもありました。

 

1502年ローマ教皇ユリウス2世が近衛兵に初めてスイス人傭兵を採用。以来、500年にわたりバチカンを守るのはスイス人傭兵。そしてその制服をデザインしたのはミケランジェロ。今でもバチカンの入り口には500年前にミケランジェロが考案した制服を着たスイス人傭兵が立っているのです。

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永世中立国の生き方

16世紀に西ヨーロッパ全土で宗教改革が起こると、カトリックプロテスタント、都市と農村での対立が激化して混乱。スイスではチューリッヒジュネーブがその拠点となります。

1618年〜1648年に歴史上30年戦争と呼ばれるヨーロッパ全土を巻き込んだカトリックプロテスタント宗教戦争が勃発したこの時、スイスは「武装中立」を宣言します。

これが周囲の国々から認められ1648年、30年戦争終結の時に国際法上も正式に神聖ローマ帝国からのスイスの独立が承認されました。

その後フランス革命の波がスイスにも押し寄せ一時はフランス革命軍の支配下にスイスは置かれることになります。そしてナポレオン失脚をきっかけに、また独立のスイス連邦体制に戻り、1815年にウィーンで開かれた国際会議で正式に永世中立国となります。

その後も国内外の革命や対立は続き国内は混乱、内戦状態になりながらも1848年新憲法が成立、中央政府を持つ連邦国家スイスが成立しました。今の国家としてのスイスはこの時が始まりなんですね。

 

スイスは第一次世界大戦第二次世界大戦でも中立の立場を通します。

永世中立国というのは実は茨の道で、言ってみれば「群れない」「つるまない」ということであって中立だからと言って戦わなくて良いわけじゃない。中立だから、他所様の争いには首を突っ込まない。でも、いつか喧嘩を売られた時は、自分で自分の身を守らなければならない。極当たり前のような話ではあるけれど、中立であればより孤独に戦わなければならなくなるということになるのです。なので、スイスは強力な軍隊を持っているし、兵役も徴兵もある。有事となれば国民全員で戦う。それが中立国の生き方です。

スイスは北にドイツ、南にイタリアと接している。今でこそ、うっとりするような二つの国だけど、第二次世界大戦ではヒトラームッソリーニの国。当時日本と並んで枢軸国だった二つの国に挟まれたスイスは生きた心地がしなかっただろう。

 

スイスという国の生い立ちから、生き残るためにとった中立の道。その道はとても険しかったと思います。でもそれを貫き通すことで他国からも尊敬され、国際的に重要な役割を担うようにもなっている。中立を貫くための不屈の精神を持っている。それを思うと岩盤くり抜いてまでユングフラウヨッホ鉄道を開通させたり、ツェルマットのゴルナーグラートなどあんな場所に鉄道を通してしまうのも納得。今はどちらかというと長閑なイメージが強いスイスだけど、この生い立ちを知るとスイス人のイメージも変わります。ハイジもペーターも大人になったら立派な兵士として鍛えられるということなのですから。

 

おまけ:「スイス」という国名

スイス連邦の正式名称

 ドイツ語:(正式)Schweizerische Eidgenossenschaft / (通称)Schweiz

 フランス語:(正式)Confédération Suisse / (通称)Suisse

 イタリア語:(正式)Confederazione Svizzera / (通称)Svizzera

 ロマンシュ語:(正式)Confederaziun Svizra / (通称)Svizra

 ラテン語:(正式)Confoederatio Helvetica / (通称)Helvetia

国際的な公式名称

 英語:(正式)Swiss Confederation / (通称)Switzerland

すごい状態です。

「スイス」の名前はもともとは建国の3原州の一つであるシュヴィーツ(Schwyz)に由来した名前と言われます。ただ4つの言語のうち、どれか1つの言語のものを国名として採用することができないため、古来からのラテン語を使って、正式名称はConfoederatio Helvetica(コンフェデラチオ・ヘルウェティカ)と制定されました。スイスに住んでいたガリア(ケルト)部族のヘルウェティ族に由来しています。スイスは2000年前の自分たちのルーツを今でも大切にしている。この略称である「CH」が現在も国名コードとして、ナンバープレートや通貨の単位、郵便コード、ウェブのドメイン名などに用いられているのです。

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