cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

パリ レ・アル地区

f:id:fukarinka:20200511142505j:plain「レ・アル(Les Halles)地区」は元々パリの生鮮食品の中央卸売市場でした。

レ・アルの起源は11世紀、乾物と両替を扱う市場からスタートします。12世紀に市場のための2つのホール(Halles)が建てられ、その後も市場が拡大するごとにホールが増えていきました。これがレ・アル(Les Halles)の地名となったようです。

15世紀以降は食品の扱いが増加して、パリの食品卸卸売市場という重要な役割を担ってきました。19世期半に建築家ヴィクトール・バルタール(Victor Baltard)によってガラスと鉄骨製の新しい市場空間が誕生し、これは19世紀建築の傑作とされる見事なものだったと言います。

*バルタールの市場の様子(1870年サントシュタッシュ教会からの眺め.傑作ということであえてPublic domain使用)

f:id:fukarinka:20200521175209j:plain

その100年後、建物の老朽化により1971年までに解体され(残念)、市場は郊外へ移転となり、市場が去った後レ・アルは2度の再開発をすることになります。

 

最初は1986年に完成した「フォーラム・デ・アル(Forum des Halles)」として元市場はちょっと奇抜な商業施設に生まれ変わりました。

下の写真はあまりよく写ってないのですが、メリーゴーラウンドの向こうに見える建物の奥、斬新なデザインの建物群がそれです。斬新なデザインなのだけど、あるいは斬新だったからか完成当時、というよりむしろ建設前から評判が悪く、おそらく使い勝手も悪買ったのでしょう、間もなく治安は悪化、環境悪化の問題が持ち上がります。

僕が初めてここを訪れたのは1997年。空間は斬新ではあったけど、まるでゴーストタウンのようで、パリ1区なのに嘘のように閑散としていたのを覚えています。

左手奥に見えるのはサントスタッシュ教会(Saint-Eustache)。あの教会とのコントラストも異質だった。

f:id:fukarinka:20200516011911j:plain

 

2度目の再開発は2002年から計画され、2010年着工-2016年完成した。

前回の失敗を活かして、広く意見を集め、公募により10のチームが設計案を提出、パトリック・バーガー(Patrick Berger)とジャック・アンツィウッティ(Jacques Anziutti)の案が選ばれ施工されました。

僕は2018年に久し(20年)ぶりにレアル地区を歩いて、違和感を覚えました。それは自分の知ってる景色と違ったからです。場所はレアルだし、サントスタッシュ教会(Saint-Eustache)はあるし。でも何か違う。僕はこの時2度目の再開発のことを知らなかった。 

f:id:fukarinka:20200516011130j:plain


この時も人はおらず。ただこの時は早朝だったので、ほとんど人に合わなかった。けど、前回きた時のようなゴーストタウン感はなく、昼間は明らかに人で賑わいそうな場所になっていました。

f:id:fukarinka:20200516011158j:plain

 

レアルのこの辺の景色は随分変わっててびっくりしました。

f:id:fukarinka:20200516011109j:plain

 

■ポンピドゥセンター

レ・アル界隈で外せない施設といえば、ポンピドゥセンター。

正式名は「ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター (Centre national d’art et de culture Georges Pompidou)」

1969年、時の大統領ポンピドゥーが建設を決定、レンゾ・ピアノリチャード・ロジャースのコンビが設計した近代建築として1977年に完成しました。外観は機能性を追求した結果、パイプ剥き出しとなったとか。公共図書館、国立近代美術館、産業創造センター、映画館、多目的ホール、国立音響研究所などが同居しています。 

f:id:fukarinka:20200513002140j:plain

以前一度、ポンピドゥーセンターの近代美術館に入ったことがあります。

ピカソマティスシャガール、ミロ、ダリ、そしてウォーホールと言った大物たちのコレクション、また近現代美術の作品を見ることができます。

それにしても、この外観はやはり完成当時相当の批判を浴びたようで、「石油精製工場」とか「配管設備のノートル=ダム」とか呼ばれ、パリの景観を損ねる前衛芸術とされたようです。

確かに、整然と整得られたパリの街並みの中に現れるポンピドゥセンターは異様に映ります。

ポンピドゥセンターが生き残れたのは機能性を追求して設計されたから、市民から見放されることがなかったのでしょう。

f:id:fukarinka:20200513002222j:plain

 

 

■サントスタッシュ教会(Saint-Eustache)=聖ウスタッシュ教会
公園をはさんでその先には、聖ウスタッシュ教会がそびえます。ゴシック様式なのだけど鐘楼を持たないフォルムは少し不思議な印象を受けます。

元々は13世紀に建てられた小さな礼拝堂が起源。建てられて20年程してレ・アル地区の教区教会になり、14世紀に入って聖ウスタッシュ教会と改名されました。現在の形になるのは16世紀〜17世紀。

フランス革命以降は教会としては使われず、倉庫になっていた時期もあった。19世紀には火災にあって大きなダメージを受けたが、レアルの市場の建物を手掛けた建築家ヴィクトール・バルタール(Victor Baltard)が修復に尽力したおかげで、今この姿を留めることになるのでした。

 

f:id:fukarinka:20200516011221j:plain

 

フォーラム・デ・アル(Forum des Halles)と聖ウスタッシュ教会の間には今も昔も公園が広がっています。噴水や緑があってここには人も集っていました。

f:id:fukarinka:20200521163216j:plain

 

f:id:fukarinka:20200516011241j:plain

 

元生鮮卸売市場は今では2度目の再開発によって人々が戻ります。いわゆるパリの街なみに混じって超近代的な建物と奇抜な建物、そして聖ウスタッシュ教会のような歴史の古い建物が街を形成している。この混沌とも言える状態はパリの中でも珍しい。でもこれもパリの姿であり、色々な姿を見せてくれるパリは懐深くて、やはり面白い。

 

cmn.hatenablog.com