パリのオペラ座 / パレ・ガルニエ(Palais Garnier)
正式名称は「国立歌劇場」。オペラ座(Opera)というとパリの他にもあちこちに存在するので、このオペラ座は「パリの」としたり、「ガルニエ宮殿」と呼んだりして区別します。
■背景
1852年、ナポレオン3世が皇帝に即位すると、パリの大改造に着手しました。
当時のパリはフランスの首都として人口が100万を超える大きな街に成長したのだけど、実態はとても首都と呼べるような状態ではなかった。無秩序に街が広がっていった結果、細い路地が入り組み、下水設備がなく不潔で、治安も景観も悪く、「花の都」とは程遠い状態でした。
ナポレオン3世はそのパリの大改造に着手します。シャンゼリゼはじめ大通りを整備、景観を整えるため同じ高さ、統一デザインの高級アパルトマンを通りに面して整然と配置、最高裁、病院、学校、橋の建設、そして上下水道・ガスの整備をすすめるといった大事業を行い、現在見られるようなパリを作り出しました。
そのパリ大改造の目玉の一つが、このパリ国立歌劇場「オペラ座」。
1861年着工され1875年に完成しました。
オペラ座建築にあたってはデザイン・コンペが行われ、170もの応募の中から若干35歳、当時全くの無名建築家シャルル・ガルニエの設計が選ばれました。
下は西側のファサード(見学者の入り口側)にある、シャルル・ガルニエの記念碑。
ガルニエによる設計はスゴンタンピール(第2帝政式)と後に名づけられ、その後各地に影響を与えた様式でネオバロックとも呼ばれます。ガルニエが生み出したこの様式は、フランス古典主義、バロックを中心に様々な建築様式がうまくおり混ぜられ、外観、内部とも前例のないほど豪華なつくりとなったのでした。
ファサードの上、左右にある黄金の彫像はハーモニー(L'Harmonie)と詩(La Poésie)。
中央のドームの上に位置するのが音楽の神アポロンの像(古代ギリシアの楽器を掲げています)。ファサードの円窓のところにはロッシーニ、ベートーベン 、モーツァルトといった内外の偉大な音楽家7人の胸像が並んでいます。
内部に足を踏み入れると、色とりどりの大理石、バロック様式を思わせる豪華絢爛な装飾、シャンデリア、彫刻や壁画の洪水は劇場というより宮殿。名前の通り「パレ・ガルニエ」=ガルニエの宮殿でした。
正面の大階段
大階段の正面。大階段を降りてくるとこの景色が見られます。
ここは社交界の応接間として作られた「大休憩室」。まるでヴェルサイユ宮殿の鏡の間のようです。ここが劇場だということをわすれてしまいます。
ホールから劇場内部に足を踏み入れると、広く豪華な空間に息を呑みます。
馬蹄形で5層に重なる真紅の観客席、大きく深い広大な舞台(450人が並べるらしい)、淡く光るオーケストラピット、それぞれを囲む金の装飾、彫像、緞帳全てがなんだか重厚です。
この時、リハーサルの直後だったので、スタッフが舞台を歩き、オーケストラピットにはコントラバスが残ってました。
観客席はアリーナをぐるっと囲む馬蹄形。これはイタリア伝統の様式で2000人近くを収容することができます。
そして上を見上げると、豪華なシャンデリアとシャガールが1964年に描いた天井画「夢の花束」が。この絵はモーツァルト、ベートーベン 、チャイコフスキー、ベルリオールズ、ワーグナー。。。十四人の音楽家それぞれのオペラの場面がシャガールらしいタッチで描かれています。
この絵を描いた時シャガール78歳。78歳でこの大きな天井画を描き切ったとは。。
このシャガールの天井画の向こうにはオペラ座完成当時のオリジナルの天井画もそのまま残されている。シャガールの絵はスクリーン上に描かれており、ライティングを変えることで、今でもオリジナルも見ることができるのです。伝統を残しながら、新しい世界を切り開く。パリの良いところ。
19世紀、このシャンデリアの一部が落下し客席を直撃した事故がありました。
それ以降オペラ座には「何かがいる」と噂されるようになると、1904年フランス人作家ガストン・ルルーはオペラ座に住まう「何か」を「怪人」に仕立てた小説を発表します。
それが「オペラ座の怪人」。ルルーはオペラ座の歴史や建築構造を細かく調査して、さらに囁かれてきた怪しい噂や実際に起こった事件などを取材、題材にしてこの物語を書き上げたと言います。
観光客用に開放している2箇所のボックス席から劇場全体を見渡せるのですが、実際にそこにいると、運が良ければ自分の他に誰もいなくなる時間が訪れることがあります。そんな観客もオーケストラも、俳優も誰もいないオペラ座は、確かにシャンデリアが落ちてきてもおかしくないような「何か」がいることをつい想像してしまうような、そんな空間でした。
ある年のオペラ座の姿。朝早くパリを歩いてオペラ座通りからオペラ座を臨む。霧にむせぶオペラ座のシルエットは何だか「何か」のオーラを発しているようで神秘的でした。
1994年にオペラ座は修復が始まり、2007年に完了しました。
僕が最初に見ていた90年代オペラ座はだいぶ汚れがたまっていました。でも、その経年の汚れが重厚感を醸し出す良い化粧になっていたようにも思えます。
2000年にオペラ座を訪ねた時は外側の修復の真っ最中で、外を囲う覆いでファサードは見えず。ちょうどメーデーだったこともありデモ集会がオペラ座の広場で行われていた。
2018年修復終わったオペラ座は外も中も見違えるほど綺麗になっていました。歴史的建物の場合、きれいに磨いてピカピカにするとその威厳がなくなってしまうこともあるのだけど、オペラ座(パレ・ガルニエ)はピカピカになってより良くなったように感じます。
いつかここでオペラ鑑賞できる日が来ると良いのだけど。