「ルーブル」の名前はおそらく美術に興味のない人でも、どこかで聞き覚えのある響きを感じると思います。ルーブル美術館はかつて王宮だった建物を転用、進化させて今では世界最大級の美術館となっているのです。またこの周りには、ルーブルのほかにも世界屈指のコレクションをもつ美術館が集まっています。ルーブル界隈はパリの芸術の中心地です。
■芸術橋(Pont des'Art)
人だけが通ることのできる橋が、ルーブル宮殿に向かって架けられています。やわらかく弧を描く鉄の骨組み、木の床板、人のためのやさしいきれいな橋です。
Pont des'Art(芸術橋)と名づけられたこの橋は、セーヌ川にかかる橋の中で最も好きです。
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現在、世界一の美術館としてその名をとどろかせるルーブル(Louvre)。
しかし、ルーブルのはじまりは1200年にここに建てられた「要塞」でした。それから以降700年の歳月をかけて大宮殿へ、そして伝統と革新が同居する大美術館へと変貌を遂げました。
いまでもルーブル美術館の地下には700年前の要塞の名残を見ることができます。
美術館としての始まりは、フランス革命後。ナポレオンはじめフランスの君主たちが集めた星の数ほどの美術品を一般に公開するための場所として、美術館として生まれ変わったのが1793年。
そして初めてルーブルが一般公開されてから200年後の1993年から「グラン・ルーブル計画」が進められ、美術館スペースの拡大・整備や、今広場の中央に立つガラスのピラミッドをはじめとする美術館施設の大改革がすすめられてルーブル美術館は新しく生まれ変わったのでした。その後も展示品の修復や展示スペースの改革が続き、おそらく今(2020年)のルーブルが200年の歴史の中で最も充実した状態と思われます。
■パレロワイヤル周辺
17世紀はじめ、リシュリュー枢機卿によって建てられた城館があり、Palais Royalの名前のとおり「王宮」としてルイ14世が幼少時代を過ごしましたが、後にヴェルサイユに王宮が移り、ここにはルイ14世の弟オルレアン公の住まいとなりました。
その後、フランス革命が起こり、時には市民集会の会場となったり、さまざまな使われ方をされ、このパレロワイヤルもパリの他の建物同様、フランスの歴史とともに波乱万丈に今に至ります。現在回廊の一部には店舗が入ってショッピングモールとなり、かつての宮殿の建物はフランス文化省が活用しています。
このときは庭園の中にはさまざまなオブジェが並び、宮殿の建物、緑の木々とともに世にも不思議な空間を作り出していました。
■チュイルリー公園とオランジェリー美術館
ルーブル美術館からシャンゼリゼの起点のコンコルド広場まで広がる大きな庭園。ヴェルサイユ宮殿を手掛けた造園師ル・ノートルによるもの。
もともと1564年に王妃キャサリン・ド・メディチがチュイルリー宮殿の庭園として簡素なイタリア式庭園を作ったのが最初。1667年に一般公開され、フランス革命後に公共の公園となりました。ル・ノートルはこの公園をフランス式の庭園として再生しました。また、この敷地にはジュドポーム美術館とオランジェリー美術館という二つの美術館が存在します。
実際のチュイルリー公園は広大で緑が多く、あちこちに様々な彫像が並んでいます。
広大なのだけど、色々な場所にベンチがあり、噴水があり、休む場所が多いパリ市民にとっても憩いの場所となっているのでしょう。
■ピラミッド広場
チュイルリー公園の西側、ルーブル宮殿の端ととおりを隔てて隣接する場所にピラミッド広場があります。ここは1798年にナポレオンがエジプト遠征「ピラミッドの戦い」の戦勝を記念して作られた広場で、ここに立つフランスの伝説の少女ジャンヌ・ダルクの像は1874年に作られたものです。
そしてセーヌをはさんだルーブルの対岸に位置するのがフランス近代絵画の殿堂オルセー美術館(Musee d'Orsay)。
1900年にパリ万国博覧会にあわせて建てられた駅舎を美術館に転用、1986年からオルセー美術館として生まれ変わりました。