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ルーブル美術館5 3つの至宝 モナ・リザ

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フランス絵画部門を抜けていくと、広い部屋が現れます。背後にはベネツィアの巨匠ヴェロネーゼによるルーブル最大の絵「カナの婚礼」。とても有名な絵なのだけど、部屋に集まるほとんどの人がその反対側を向いているのがわかるでしょうか?この部屋にはイタリアルネサンス絵画の珠玉の作品が多数展示されているのですが、ここにいるほとんどの人がある一枚の小さな絵に釘付けになっているのです。

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その視線の先にある小さな絵。おそらく人類史上最高の一枚がこれ、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」です。通称「モナ・リザ(Mona Lisa)」 正式名は「ラ・ジョコンド(La Joconde フランス語)」「ラ・ジョコンダ(La Gioconda イタリア語)」といわれ、その生い立ちからするとフランス語表記するが正しいのかもしれませんが、ここではもっとも馴染みある通称「モナ・リザ」と記述します。

 

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 それにしても、いくらモナリザとはいえ、この年のこの人だかりはすごかった。

 

約500年前にレオナルド・ダ・ヴィンチによってポプラ板に描かれた油絵。人類史上最高のこの作品はフィレンツェ貴族のフランチェスコ・デル・ジョコンドが新居の記念に妻リザの肖像画の製作をレオナルドに依頼したことによって誕生します。

レオナルドは1503年から描き始め、1506年には大方完成させた(終わりの時期には諸説あり)と言いますが、この絵は依頼主に渡されることなくレオナルド自身が終生持ち続け、筆を入れ続けることになるのでした。ジョコンド邸の、この絵がおさまるはずだった場所がどうなったのか気になるところですが、こうしてモナリザは生まれ、依頼主に渡されることなくレオナルドが持ち続けたために、今ここルーブルに展示されているのです。

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 なぜ、レオナルドはモナリザを渡さなかったのか。

モナ・リザ」はレオナルド50歳前後という年齢で制作された。いろいろな意味での円熟期の作品で、それまでレオナルドが追求してきた技術理論(遠近法や明暗法、スフマートなど)、自然科学(大気の影響)、光学、解剖学、哲学などあらゆる考察が集大成されたと言われている。レオナルドにとってこの絵は、いつのころからか「リザの肖像」ではなくレオナルド自身を表す壮大な総合芸術の塊となり、自分が追究してきた全ての要素をつぎこんで完成させたかった。のだけど、追究が深すぎて満足いくレベルには到達できなかった。結果的にその追究は終生終わることなく続き、完成できず最後まで依頼主にわたすことができなかった。のではないか。

レオナルドの完成は、「形」ではないと言われます。描き始めてレオナルドの頭の中で完成してしまうと、現物を描き続ける意義を失ってしまい、作品としては途中で終わっているので、他人から見た時には未完成に見えるけど、逆にレオナルドにとってはそれらの作品は頭の中で完成してしまったから、描くのをやめた。

もともと「未完」が代名詞のようになっていたレオナルドだったけど、レオナルドにとって物理的な未完はレオナルドの中では完成してしまっている。「モナ・リザ」は客観的に見れば「完成」と言ってもおかしくないけど、レオナルドにとっては最後まで完成できなかった絵。ちまたでは様々な諸説があるけれど、上の話が僕には一番腑に落ちる。

 

なぜ、レオナルドの絵がパリにあるのか。

晩年にイタリアに自分の居場所を見つけることができなかったレオナルドが、1516年にフランソワ1世の招きに応じてフランスのアンボワーズ近くのクルー城に来たとき、レオナルドはモナリザをはじめ3枚の絵を携えていました。そして死までの3年間、ここフランスの地でレオナルドは最後の最後までモナリザに執着、筆を入れ続けたと言います。

レオナルドの死後、作品は弟子に相続された。その後弟子たちからフランソワ1世が買い取り王室コレクションに加えます。モナリザと一緒にフランスにやってきた2枚の絵「聖アンナと聖母子」と「洗礼者ヨハネ」もそれぞれ、やがて一般公開されルーブルに所蔵されることになる。レオナルドの貴重な作品がルーブルにあるのはそういう背景があるのです。

これら作品だけはイタリア人も返せとは言えないし、フランス人が堂々と国の財産であることを主張できるわけです。

 

 

展示

ヴェロネーゼの絵がそっちのけになってしまうほどの人気っぷりは、この絵がルーブルの中でも別格扱いであることがわかります。それは展示の仕方にもあからさまに現れています。

プラ板に描かれた絵の劣化を防ぐため温度と湿度が一定に制御されたケースの中に保護されていて、正面は極厚の防弾ガラスに守られています。また、ガラスにはUVなど絵にとっての有害な光を遮るコートが施され、二重三重に保存と安全の対策が講じられています。

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ルーブルのドノン翼の1階、「国家の間」という部屋にモナリザはあります。前述したようにフランスが略奪し、戦争で負けた時には連合国に美術品の返還を求められ、奪ったものの大半がもとの持ち主のもとに返却された。イタリア美術も同様でほとんどが返却されたのだけど、イタリアに嘆願して返却を見逃してもらった「カナの婚礼」。その対面には「カナの婚礼」とは反対に自らフランスにやってきた「モナ・リザ」。この空間はいろいろなドラマが隠されているんです。

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この写真はグランルーブル計画でいまの場所に移される以前(1996年)のモナリザの展示。

当時から防弾ガラスケースに入って、空調制御の特別あつかいも、他の絵には目もくれずに大勢の人が集まっているところも変わらないのだけど、今と比べると以前の方がモナリザとの距離が近くてよかった。もっと間近でモナリザを見ることができたんですよね。

それにしても、周りに展示される絵はそれぞれ超有名な作品ばかり。あらためてモナリザの偉大さと、ルーブルの凄さを思い知らされます。

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美術界にあって「レオナルド・ダ・ヴィンチ」はスーパースターで、どこの国でもレオナルドの名前のつく企画展は大盛況になると言います。それはミケランジェロをもってしても叶わないと。現存する作品15点ほど、しかもそのほとんどが未完成。自然科学、音楽、解剖学、物理学全般、数学、土木、建築、気象学、天文学、軍事、目に見えるもの見えないものありとあらゆるものの仕組みを探究した記録は膨大な「手稿」として残っている。それらは半分以上が下絵のままの作品でも、単なるメモ書きでもレオナルドが残したものであれば、とにかく多くの人の関心が集まってくる。

その中でもやはり「モナ・リザ」は別格。

でも、なぜこれほどまでに「モナ・リザ」なのかは僕自身も消化不良のままです。でも僕も、大勢の人と同じくモナ・リザの不思議な魅力に惹かれ続ける一人であり、次にルーブルに行ったとしても必ず見に行くだろう。

巷にあふれる、星の数ほどの評論も解き明かすことのできない「モナ・リザ」の本当の魅力。一生解けない謎になりそうで、死ぬ間際にも「なんだかわからないけど惹かれる」と言ってそうだ。でも、それで良いし、それが良い。と僕は思う。

 

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