ゴッホは一般的に後期印象派に分類されます。でも僕は昔からゴッホの絵を見るたびに思うことがありました。
この人を後期「印象派」という名前でくくるのは適切なのだろうか、と。。
確かに2年ほどのパリ時代にゴッホは印象派の画家たちと過ごして、彼らからかなりの刺激を受けている。だから画家のグループとしては印象派に非常に近いのだけど、でも僕はどうしてもゴッホのあの絵を、印象派とくくることに強い違和感を感じ続けていた。
ゴッホの画家としての人生わずか10年ほど。その短い間に描かれた約900点の油絵、そのゴッホの作品の多くは地元オランダのアムステルダムのゴッホ美術館やクレラーミュラー美術館にあります。一方でオルセーにあるゴッホの作品は約30点ほどと数は少ないけど、「星月夜」「アルルの女」「ガシェ医師の肖像」「オーヴェルの教会」といったアルルやオーヴェルで描かれた珠玉の作品たちを中心に自画像などが収蔵されている。
ある年に僕は、オルセーにある「オーヴェルの教会」をじっくりと見た。これぞゴッホな一枚です。夏の青空の下、オーヴェルの教会を描いた一枚。昼間なのに漆黒に近い、そして歪んだ青空、うねる道、そして歪んだ教会。ゴッホの作品の中でも現実と非現実とが入り混じったような、不思議な世界が作り出されている。
僕はこの絵を見た時にこの教会の実物を、ゴッホが最後に過ごしたオーヴェルの村をどうしても見たくなって、オーヴェルを訪ねてゴッホの足跡をたどることにしたのです。
そして僕がオーヴェルを訪ねて、実際に見たオーヴェルの教会は、静かなオーヴェルの村の青空の下で、とても「さわやかに」佇んでいました。おどろおどろしくもない、歪みもない素朴で端正な教会でした。
ほかにもゴッホが描いたオーヴェルの景色をこの目で見て歩き、最後にゴッホが過ごしたラヴー亭の屋根裏部屋を訪ねた時に、僕の中にあった長い間の違和感が溶け落ちたような気がしたのです。
光や風、空気の移ろい、空気のゆらぎを捕らえるのが印象派。その空気はモネであれば、実際の光の変化、風のざわめきとして表現され、ルノアールであれば人々の幸せの空気が光と一緒に表現される。
そしてゴッホは、光や風の代わりに自身の心内の揺らぎ(歪み)を表現したのだと、オーヴェルを描いたゴッホの絵と、実際のオーヴェルの静かな村をみて、ようやくそのことを理解しました。
オルセーのゴッホは、以前は印象派と同じフロアに展示されていた。聞くところによると2011年以降、印象派ギャラリーとは別の下階に移されたらしい。それを知らずにいた僕は2018年に約20年ぶりに出かけた閉館間際のオルセーでは時間切れのため、うかつにもゴッホに会わず仕舞いとなってしまった。
またいつか、オルセーのゴッホに会いにいかなければ。。。
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