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旅行の記憶と何気ない日常を

シャンゼリゼ界隈 シャンゼリゼ

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 シャンゼリゼ(Champs Elysees)は、コンコルド広場から凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場までの約3km、マロニエの緑の並木に導かれた道幅の広い大通り。「これぞパリ」な、パリを代表する風景。

 

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シャンゼリゼは大きな車道があり、その脇をマロニエの並木がこれまたゆったりした広い歩道との境界を作っています。広い歩道の脇には高級ブランドの本店、旗艦店からオフィスからカフェなど様々な店や企業が軒を構えています。

シャンゼリゼの起こりは、マリー・ド・メディシスによります。この人は17世期にフランスを芸術大国へと導いたアンリ4世の王妃で、ルーブルにはルーベンスの連作「マリー・ド・メディシスの生涯」のその人。イタリアはフィレンツエの名門メディチ家の人です。

マリーはお気に入りのチュイルリー庭園から伸びる並木道を作りたかった。これがのちに「シャンゼリゼ」となるのです。

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当時沼地と原っぱが広がっていたこの一帯を、ヴェルサイユ宮殿やチュイルリー宮殿の庭園を手掛けた天才庭師ル・ノートルは整備していきます。

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 シャンゼリゼが今のようなスタイルになるのは、パリ大改造を行ったナポレオン3世によります。凱旋門を中心に放射状に通りをつくり、よりエレガントな街並みとなるように通りを挟む建物の高さとデザインを統一してパリの、シャンゼリゼの景色を作り上げたのでした。

 

 

凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場からコンコルド広場方面を眺めると、通りの向こうにオベリスクとチュイルリーの観覧車、その向こうにルーブルが見えます。

それにしても人がたくさん。

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 そしてこちら側、コンコルド広場とは反対側には新凱旋門(Le Grande Arch)が見えます。

パリ人権宣言200周年となる1989年7月に完成、正式名称は「la Grande Arche de la Fraternité(友愛の大門)」。この建物は戦勝記念につくられたものではないので、凱旋門(Triomphe)ではありません。

ただ建築のコンセプトとして、カルーゼル凱旋門からエトワール凱旋門と一直線上にならぶ20世紀の(凱旋)門ということなので、「新凱旋門」という日本人が勝手につけた俗称も間違ってはいませんね。

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1800年以降のパリにあってその中心的、かつ象徴的な場所というのがこのエトワールとカルーセルの二つの凱旋門を結んだシャンゼリゼ大通りです。この時のナポレオン3世のコンセプトは見事に後世に引き継がれ、今も「パリといえば」真っ先に思い出す名前となっていますね。

 

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