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旅行の記憶と何気ない日常を

ルーアンとジャンヌダルク

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ルーアンジャンヌ・ダルク(Jeanne D'arc)ゆかりの地。それも最期を迎えた地として街のあちこちにジャンヌ・ダルクの名前がつけられた場所が多い。

ここでちょっとジャンヌダルクの生涯を追ってみることにします。

フランスの国民的ヒロインでカトリックの聖人でもあるジャンヌは1412年、フランスの東部に位置するドンレミ(Domremy)という田舎町で羊飼いの娘として生をうけました。世はフランスとイングランドとの百年戦争(1338-1453年)の最中で、このころのフランスは多くの領土をイングランドに奪われ、同胞であるブルゴーニュ派にも裏切られ、圧倒的劣勢に立たされていました。

そして12歳のある日、ジャンヌは神の声を聞いた。
「立って祖国を救え」と。

少女は崩壊寸前のフランスのために立ち上がる。時の王太子シャルル7世に直談判し、借り受けた軍を率い、占領されたオルレアンの奪還に成功する。突然現れた10代の小娘に軍隊を貸す王太子もどうかと思うけど、それを率いて見事に勝利するジャンヌはすごい。その後もジャンヌは戦い、勝利を重ね、フランスは領土のほとんどを取り返していきました。
フランスにとっては奇跡がおきた。

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*パリのジャンヌダルクの像

 

神はジャンヌに「イングランド軍を駆逐して、シャルル7世を王位につけよ」と言いました。

ジャンヌは神の啓示の通り、オルレアンを開放したあと、シャルル7世をランスに連れていき王位戴冠させました。

しかし、シャルル7世が王位についたころから、シャルル7世自身がジャンヌの人気に脅威をおぼえるようになり、次第に支援を渋るようになります。それでも支援少ない軍を率い祖国のために戦うジャンヌでしたが、ついに1530年、シャルル7世に裏切られブルゴーニュ軍に捕らえられ、イングランド軍に売り渡されてしまう。

そしてここルーアンにつれてこられ、このジャンヌダルクの塔に幽閉されたのでした。

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この現在ジャンヌダルクの塔と呼ばれているのは1204年に建てられたルーアン城のメインタワー。地元の石灰岩で建てられた巨大な塔で、高さ30メートル、直径14メートル、壁の厚さは4メートルの塔です。1591年宗教戦争の時に城は壊され、唯一残った城の名残がこのジャンヌダルクの塔です。 ジャンヌはこの塔で拷問をうけたあと、宗教裁判にかけられ、魔女とされ火あぶりの刑によってその生涯を終えることになるのでした。


祖国フランスのためにいくつもの奇跡を起こしたジャンヌダルク。一点の曇りなく、ひたすら祖国を思って戦った彼女を待っていたのは、同じフランス人に、国王に裏切られ命を落とすという運命でした。ここルーアンはそんなジャンヌの魂が眠る場所なのです。

 

追伸。。。

ジャンヌは決して王位を奪おうなどとこれっぽっちも考えなかっただろうに、勝手に脅威を感じて王位を手放したくないシャルル7世に裏切られ殺されてしまった。小者ほどそういう行動になる。王としてなすべきことより、王座にすがることが最重要事項になってしまう。

小者が上に立つと組織の成功より、小者の保身が優先となる。とてもくだらないことだけど、これもまた人間社会の常。現代社会のあちこちで同じことが行われる。

マキアヴェッリの言葉が身に染みます。

「過去や現在のことに思いをめぐらせる人は、たとえ国家や民族が違っていても、人間というものは同じような欲望に駆られ、同じような性向を持って生きてきたことがわかるであろう。。。(中略)。。。 それゆえ人類はいつになってもあいも変わらず、同じ醜態を繰り返しているわけである。」

 

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