モン・サン・ミシェルには街があります。8世紀にここに最初の礼拝堂が建てられ、10世紀に修道院が誕生したときから、この小さな街はモン・サン・ミシェルとともにあるのです。島をなぞるように修道院へ続く細い道に沿って形作られた街で、巡礼者も旅行者も旅の疲れを癒し、大聖堂への巡礼が終わった後にここで酒を飲み、そして宿泊して次の巡礼地へと出発したのでした。
当時街に並んでいたのは巡礼者を受け入れるための宿屋、酒場、食事処さらには巡礼の記念品を売る店もあったというから、今と何ら変わりません。記念品とは「聖ミカエルの像」だったそうで、まさにお土産もの。訪れる客が巡礼者から観光客に変わったというだけでモン・サン・ミシェルの街の営みは変わらないということになります。
さて、外からモン・サン・ミシェルの街に入るには3つの門を通らなければなりません。外界との境である「前哨門(La parte de l'Avancee)。ここから城壁の内側へ入ります。昔は市民守備隊の駐屯場所で、今は観光案内所となっています。
中に入ってすぐ第2の門「要塞の門(La porte du Boulevard)」を抜けると下の写真の風景になります。
左手には名物の「オムレツ」を振る舞うホテルでレストランの「ラ・メール・プーラール(La mere Poulard)」。その奥にあるのは「王の門(La porte du Roi)」。この門は要塞時代の名残で昔この前には防衛目的の濠が掘ってありました。門には濠にかける跳ね橋の名残がみられます。
*ラ・メール・プーラールと王の門
王の門をくぐり、さらに進んでいくといよいよモン・サン・ミシェルの街「グラン・リュ(Le grand Rue / 大通り)」に入ります。その名前(大通り)とは裏腹に、幅2メートルほどのとても狭い、とにかく狭い参道で、その両脇にはお土産物屋やレストランが所狭しと並んでいます。そしてタダでさえ狭い参道には世界各国からの観光客でごった返し、人の渋滞ができます。
モン・サン・ミシェルの街歩きで、このグラン・リュは外せないのだけど、この人混みはつらい。そんな時、脇の階段から城壁に上ると人混みから解消されます。
城壁の上からグランリュを見下ろすと、何か雲の上から人間世界を「達観」しているような錯覚を覚えます。「自分はあそこの狭く小さな世界で何をしていたのだろう?」みたいな。
人間渋滞を避けて先にすばやく移動したり、ちょっとその人混みを離れてエネルギー蓄えてから再突入。城壁はそんな風に使うのが有効です。
遠足の子供たち。城壁への階段に座って一休み。観光客の多さにびっくり。。。。
モン・サン・ミシェルの街は第2次世界大戦前までは観光業ととも漁業の街でもありました。絶えず訪れる観光客を相手に伸びていく観光業によって、漁業は圧され衰退していったそうです。古くはモン・サン・ミシェルに行こうと干潟を渡ってる時に潮にのまれて命お落とすような、命懸けで巡礼に行く近寄り難い神聖な場所だったはずなのに、早くから観光地化が進み、だれもが簡単に行かれる場所となった。おかげでここに暮らす人々(人口三十人ほどと言われている)は今までも、これから先も生活には困らないだろう。大天使ミカエルはここまで見通して大司教オヴェールの頭を聖なる光で貫いたのだろうか。。。
グラン・リュを抜け、坂を登りモン・サン・ミシェルの大修道院へ向かいます。