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旅行の記憶と何気ない日常を

モン・サン・ミシェル 4 ラ・メルヴェイユ 

f:id:fukarinka:20210213141653j:plain1204年のフランスとイギリスとの間で起こった百年戦争モン・サン・ミシェルは火を放たれ、修道院北側の建物は焼け崩れてしまいました。その後資金難や修道院内の内紛などで遅れた再建工事が1211年に始まります。それから約17年という驚異的なスピードで完成したのが「ラ・メルヴェイユ(驚異 La Merveille)」と呼ばれるこの建物です。

島の北側にゴシック様式で築かれた切り立った壁は、ヴィクトル・ユゴーに「世界一美しい壁」と紹介されました。

 

■外観

島の内部からだと、世界一美しい壁はほとんど見えません。

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島を出て干潟をあるくとようやくその全貌が見えてきます。でもこの時は干潟の足場が悪く島を離れられず。このアングルが精一杯。

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ラ・メルヴェイユは、モン・サン・ミシェル修道院として400年ほど機能したあとに建てられました。それまで400年の蓄積で修道院の機能を熟知した修道士たちは自分たちの理想の修道院施設を設計するのと同時に、中世当時の聖職者が考えていた社会構造(聖職者・貴族・第三身分)と精神的・知的・物質的糧の序列を3階層で具現化したと言います。

■最上階 聖職者の階層 (修道士の瞑想のための回廊や食堂)

柱廊式中庭(Le croitre)

互い違いに配置された2重の列柱を配した空間で、修道士が瞑想する場所として生まれました。回廊と中庭は人の肩ほどの高さの2重列柱で区切られています。この列柱は世俗と禁制の境界となって修道僧のあり方を示し、彼らの瞑想を助けたと言います。

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修道士の食堂(Le refectoire des moines)

広々した丸天井はロマネスク様式の特徴、たくさんの窓がある壁は窓の特徴からゴシック様式。ここも様式が交差する特別な空間です。修道院の食堂としては広く明るい異例のつくりと言われています。ベネディクト教会の教えでは食事も精神修行の一環だった。

そして、ここはとても良く音が響きます。少しの音でも響き渡るここで静かに食事をするということは、かなりの集中力が必要だったことでしょう。ベネディクト派の修道士とは食事も修行だった、というのがここに来ると実感できます。

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 ■中階 王や騎士の階層 (王や貴族、騎士を迎える施設)

客間(Lasalle des hotes)

ゴシック様式に近い、柱と天井の構造を持っており、光も多く開放的な印象を受けます。ここはかつて「修道院の友」を泊めた部屋でした。「修道院の友」とは中世では修道院に巨額の寄付をした者のことで、当時モン・サン・ミシェルに寄付をした貴族たちのための部屋だったとされます。

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■下階 労働する(貧しい)ものの階層 

この階層には貧しい巡礼者や食事や屋根を提供した「施物所(Aumonerie)」や「蔵(Celliers)」がありました。この階層は装飾的要素がほぼなく、上階の重みを支えるため太い柱が無機質な天井を支える空間。

最上階から少しずつ下階へ進むと、少しずつ暗く、寂しくなっていく。これが中世世界の序列なのですね。と気持ちが少し沈みます。

 

 僕にとってのラ・メルヴェイユは、建築としての外観が一番の価値になります。でもその壁はモン・サン・ミシェルの北側に位置するため普通の旅行者はお目にかかれない。干潟を歩いて裏に回ってさらに岩山から離れるとようやくその全貌が現れるのだけど、僕が尋ねた時は干潟がぬかるんでてそこまで行かれなかった。

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*「驚異」の感じが出ませんが、こんな感じ

 

世界一美しい壁をしかとこの目に焼き付けるために、またモン・サン・ミシェルに行かねばならない。

 

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