cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

ミラノ スフォルツェスコ城

f:id:fukarinka:20210424193042j:plainミラノの長い変化の歴史で何度も破壊と撤去の危機に遭いながら、奇跡的にその姿を現在に伝えることができた建物で、非宗教建築の中でもっとも貴重なものがこのスフォルツェスコ城です。「混沌のミラノ」その地勢ゆえに歴史に翻弄されたミラノにあって、激動の運命をなんとか耐えてその姿を残した軌跡をたどります。

*「スフォルツェスコ」と呼ばれる前に

もともとこの場所にはローマの要塞がありました。それは当時の名前(Castrum Portae Jovis)からローマ皇帝の近衛兵(Pretoria)の兵舎として使用されていたことがわかります。ミラノがローマ帝国の首都だった時の名残です。暗黒の中世を経て1358年、当時はまだ地元の有力貴族だったヴィスコンティ家が、その場所にかつてと同じように兵営を建てました。その後ジャン・ガレアッツォ〜フィリッポ・マリアに至るヴィスコンティ家の君主たちによって、巨大な壁と塔を持つ城塞となり、ヴィスコンティ家の住居となります。ところが1447年フィリッポマリアの死後、ヴィスコンティ家に内紛が起こり、結局ヴィスコンティ家はミラノから追放されてしまいます。この時ヴィスコンティ家の居城も破壊されてしまいました。

 f:id:fukarinka:20210417032507j:plain

 

スフォルツァ家の登場で。。。

1450年フランチェスコスフォルツァ(フィリッポ・マリア・ガレアッツォの娘婿)がミラノの君主となって、居城の再建を手がけます。1452年にフィレンツェの彫刻家で建築家のフィラレーテ(Filarete)に設計を託し、現在のような姿になりました。

スフォルツェスコ城のシンボル的なこの塔の名前「フィラレーテ塔(Torre del Filarete)」はこの建築家の名前をとっています。

 

f:id:fukarinka:20210417032439j:plain

 

ルネサンスの花開く

1494年ルドヴィコ・スフォルツァ(イル・モーロ)が君主になりミラノは絶頂期を迎えます。ルドヴィコは君主になる以前にルネサンスの花開いたフィレンツェを訪れ、その華やかさに心を奪われます。「ミラノをフィレンツェ以上の街にする」ことを強く心に刻んだルドヴィコは君主になってから、多くの芸術家をミラノに招き街を変えて行きました。当時のミラノ公国は絹織物と武器製造で経済が潤い、急速に人口が増加、それに伴い街がどんどん拡大していきました。建築家、芸術家にとってのミラノは多くのパトロンのもとその才能を発揮できる大きな可能性を秘めた場所でした。スフォルツェスコ城もこのとき一気にルネサンス風に仕上げられて行くのです。

ちなみにこの時期にミラノに来た著名な芸術家は、ウルヴィーノからブラマンテ、レオナルド・ダ・ヴィンチ(詳細は後ほど)。

フランス軍がミラノに侵攻するという噂が広まって以降、ミラノの暗黒時代がはじまります。スフォルツァ家はフランス軍に追いやられ、その後もスペイン軍、オーストリア軍に侵攻されいろいろな国の支配が続きます。王の居城は要塞と化して、華やかだったそフォルツェスコ城はどんどん荒んでいくのです。

スフォルツェスコ城のヴェッキア中庭(下の写真)にはレオナルドの巨大な騎馬像「フランチェスコスフォルツァ像」が置かれるはずでした。それも諸外国による侵攻という不安定な情勢により実現されず。

f:id:fukarinka:20210417032528j:plain

*19世紀の破壊の脅威

1776年ナポレオン軍がやってきて、1800年には城の取り壊し命令が出されます。この時は建築家アントリーニによって救われました。このときはナポレオンの名前を冠する都市計画にうまくスフォルツェスコ城を組み入れた事で破壊を回避できました。

そしてまた1884年都市計画による取り壊しの危機がありましたが、このときは建築家ベルトラーミが反対し、城をスフォルツァ家が仕上げた状態への修復と文化機関を置くこと提案・実行して存在意義を示したおかげで取り壊されず生き残りました。

f:id:fukarinka:20210417032553j:plain

*何度危機が訪れようと

20世紀に入って、スフォルツェスコ城は近代美術館と芸術学校として機能していました。

最後の危機が第2次世界大戦。ミラノは大規模な攻撃に遭い、スフォルツァ城は大きく損傷します。そしてこの時も戦後修復され、復活をはたしています。

今はたくさんの文化機関として機能しています。

スフォルツァ美術館、考古学博物館、楽器博物館、家具と木製彫刻美術館、ミラノ公文書館、図書館。。。

20世紀になって、ミラノはミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」を購入。

スフォルツェスコ城に「ピエタロンダニーニ美術館」を作り展示しています。

 

かつて栄華を極めた不死身の城は、今ミラノのシンボルとして市民と観光客の憩いの場、人間文化の記憶の場として生き続けています。この先もスフォルツェスコ城はしぶとく過去の栄華を保ちながら生きながらえていくのでしょう。

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com