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ルッカ2 古い寺院

f:id:fukarinka:20210703223432j:plainルッカエトルリアを起源に持つ歴史の深い街。その歴史と共に古い3つの寺院を辿ってみます。

ルッカ西ローマ帝国が滅びた後は、東ローマ帝国ランゴバルド神聖ローマ帝国と次々と支配者を変えていきます。西ローマが滅びたすぐ後には、キリスト教が広く普及し始めたこともあってか、ルッカには今に続く3つの古い教会が生まれます。

 

■聖マルティーノ大聖堂(cattedrale di San Martino)

ルッカを代表する大聖堂として、「ルッカのドゥオモ (Duomo)」「 ルッカ大聖堂」とも呼ばれます。

西ローマ帝国が滅んだのが5世紀。この聖堂は6世紀ころにはこの場所に存在していたといいます。現在見られる見事な姿は11世紀にロマネスク様式の聖堂として再建されたものです。

ファサードを飾るロマネスクの円柱は、色大理石、動物の彫刻、螺旋の彫刻など一本一本が実に多彩。この様式はのちに「ルッカ・ロマネスク様式」と呼ばれることになります。

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ピサの大聖堂建築に関わったグイデット・ダ・コモ(Guidetto da Como)はここルッカで「ピサ・ロマネスク様式」を発展させて「ルッカ・ロマネスク様式」へとその建築様式を昇華させたといいます。

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そしてルッカは、11世紀ころには絹織物の生産と取引の場所として当時コンスタンティノープルと並び立ち、繁栄したと言います。

1120年、ルッカ自治都市として市民が街を統治するようになります。先日行ったヴェネツィアでは、貴族階級によって強力な共和制が敷かれたのですが、ルッカでは市民が中心になって国を統治する当時、イタリアの中でも珍しい存在となるのでした。

 

■サン・ミケーレ教会(Chiesa di San Michele in Foro)

もともと8世紀ころには古代ローマのフォロ(公共広場)だったこのサン・ミケーレ広場に教会が存在したといいます。現在の建物は12世紀に建設が始まり13世紀に現在のような「ルッカ・ロマネスク様式」のファサードを持った教会として完成しました。

サン・ミケーレは「大天使ミカエル」のこと。なのでファサードのてっぺんには大天使ミカエルが立ち、ルッカの街を見守っています。

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ドゥオモと同じく、この教会のファサードの円柱は多彩で、すべて異なる装飾がされている。

全体のフォルムは洗練され、ルッカ・ロマネスク様式の完成形と言って良いかもしれません。

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■サン・フレディアーノ教会(Basilica di San Frediano)

サンフレディアーノ教会の起源は6世紀と言われています。現在の姿になったのは1112-1147年。13世紀、ファサードを飾るビザンチンのモザイク画(キリストの昇天)が加えられました。

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西ローマが滅んだ後、これら三つの教会はルッカに生まれ、11世紀に絹織物と貿易により都市国家として大きく繁栄すると、そのころにこれら街の教会は新しく生まれ変わるのです。2つはルッカ・ロマネスク様式というピサとならぶ美しい教会へ、ひとつはビザンチンの見事なモザイク画をファサードにもつ教会へと変貌するのでした。

社会が歪むと心の拠り所として、教会が生まれ、社会経済が潤ってくると教会は新しく壮麗に生まれ変わる。これはいつの時代、どこの街でも起こることなのですね。

 

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