シニョーリア広場 (Piazza della Signoria)
ここは政庁舎(シニョーリア)のある広場として13-14世紀に作られました。昔も今もフィレンツェの政治の中心です。また、ここはローマの街フロレンティア(Flōrentia)だったころからフォロ(Foro)として政治の中心であると同時に、市民の広場でした。いまではフィレンツェ市民のほかに、大勢の観光客が集まる広場です。
広場でもっとも目立つのがヴェッキオ宮殿。現在フィレンツェ市庁舎として使われています。
1299-1314年にかけて、サンタ・マリア・デル・フィオーレを設計したアルノルフォ・ディ・カンビオ(Arnolfo di Cambio 1245-1302)よって建てられました。要塞のような重厚さはサンタ・マリア・デル・フィオーレとは対照的です。
ヴェッキオ宮殿の入り口には、ミケランジェロのダヴィデ(レプリカ)がたちます。宮殿のその脇にはネプチューンの噴水、さらにその奥にはメディチ家コジモ1世の騎馬像が立ちます。
コジモ1世は17歳で当主となり、フィレンツェの軍備を充実させ領土を拡大した人物。そしてその権力をもって教皇を説き伏せてイタリアで初めて「大公」の称号を得ることになります。ヴェッキオ広場の主要な建物は1563年、そのコジモ1世の息子フランチェスコ1世がオーストリア大公の娘と結婚する時に、コジモ1世から命を受けたジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari 1511-1574)によって、ルネサンスの建物が、フィレツェの街が生まれ変わったのでした。
ヴェッキオ広場のヴェッキオ宮殿はもともと政庁舎として建てられたのだけど、コジモ1世が住居をピッティ宮殿に移すまでの間、ヴェッキオ宮殿を住居としていました。政庁舎であるこの建物が宮殿と呼ばれるようになった理由はそこにあります。