サン・マルコ美術館 / Muzeo di San Marco
サンマルコ美術館はフィレンツェの中心から少しだけ離れた場所、フィレンツェ大学の前に位置します。もともとドメニコ会修道院として建設、2014年まで修道院としても機能していたそうです。いまでは修道院は別の場所に移り、ここは15世紀メディチ家の建築家ミケロッツォによるルネサンス建築の傑作、また画僧フラ・アンジェリコが多くのフレスコ画を残したことで貴重な美術館として存在しています。
またサン・マルコ修道院はレオナルドがラテン語を学んだ場所であり、ロレンツォ・イル・マニーフィコの死後「炎のような説教」でフィレンツェを導こうとした修道士サヴォナローラが誕生した場所でもあります。
フィレンツェの中心から少し離れたこの修道院がこれほど有名になっているのは、フラ・アンジェリコ(Fra' Angelico 1390-1455)が残したフレスコ画によります。
中に入ると、とても質素で静かな修道院が広がります。そして修道僧たちのためのたくさんの部屋のひとつひとつにフレスコ画が描かれていました。そして、階段を上った先の踊り場にあの絵はありました。
「受胎告知」 フラ・アンジェリコ 1440年代前半
フラ・アンジェリコの「受胎告知」を題材にした作品は15点ほど存在するそうですが、その中で修道院という場所柄、もっとも質素で雄弁な「受胎告知」がこれ。
フラアンジェリコは1390年フィレンツェ近郊の村に生まれます。グイド・ディ・ピエトロ(Guido di Pietro)が本名で「フラ・アンジェリコ(天使のような画僧)」は彼の死後につけられた「あだな」です。フラ・アンジェリコは早くから画家として生計を立てていたこともあり、20歳で聖ドメニコ修道会に入った後は、修道院の画僧となります。当時メディチ家コジモによってサンマルコ寺院が改修されるときに、コジモはフラ・アンジェリコにたくさんの絵を描かせました。
フラ・アンジェリコは1436-1445年をここサンマルコ寺院で過ごし、フィレンツェでメディチ家の庇護を受けその才能を飛躍させたといいます。