もう随分前のことになりますが、初めてイタリアを旅行したときのこと。
ローマの街やミラノの大聖堂、素朴な小さな街と初めてのイタリアに感銘受けつつ、僕もまだ10代だったこともあってか「イタリア人のいい加減さったら酷い」と辟易したことをよく覚えています。お店やホテルでこっちが困ってるのにやたら適当。東洋人ということでなめられた感じもあったけどなんか全体的に雑。たまたま接している人たちの個性にもよるのだろうけど、それでもイタリアに来る直前に長期滞在していたイギリス、スイスやフランスの人たちに比べてなんかこう、文化人として見劣りするというか、なんというか。遺跡や建物は美しいのだけど、街そのものはあちこち汚いしなんなんだこの国は!と思いながら過ごしていた。
当時日本でテレビに出てたイタリア人たちも、なんかこうクネクネ、のらりくらりしてて「シャキッとせんかー!」と言いたくなることしばしば。それほどサンプル数は多くないけど、当時の自己統計の結果により、イタリアの歴史文化と反比例し、全体的になんかイタリア人は好きになれなかった。
古代ローマの壮大な遺跡、ルネサンスの芸術、ヴァチカン。。。あれだけ素晴らしい、人類を代表するようなものを作り上げた国。文化芸術、ファッション、カトリックの中心でもあるイタリアの、そしてローマでなんでこんなこと思わなければならなかったのか、もやもやして過ごしていたのだけど、当時、イギリスからローマまで連れてきてくれた10歳ほど年上の従兄弟にローマでぼやいてみた。
「古代ローマのすごい歴史を作った人たちの末裔なのに、なんでこんなに誰も彼もテキトーなんだろう?」
すると従兄弟はこんな答えをくれたのでした。
「長い時間の中で、人も国も良くなったり悪くなったりするのさ」
当時この回答にものすごく納得して、そういうものかと思うようにしたらイタリア人に対する嫌悪感みたいなものはすっかり晴れたのでした。
今考えても、納得するところは多い。
エジプト人、ギリシア人、ローマ人、トルコ人、ペルシア人。。。数千年にわたって強大な力と文化を築いた人々はいまは比較的おとなしい。長い歴史の中で、僕が生きる時間は瞬きする時間にも満たないわけで、これだけ大きな歴史のうねりの中で栄枯盛衰繰り返し、人々の質も変わって当然。学問や建築、芸術がある時期のアテネやフィレンツェで爆発的に発展した背景には国の経済が潤ったことにあり、経済が潤えば国民の生活も心も潤い心の余裕が民族としての質を高めていくんだろうな。そしてそれが過ぎたり奪われたりすると国が廃れるのと同時に人心も廃れていく。今イタリアはその荒廃期にあるんだ。と勝手に納得することにしたのでした。
「長い時間」の話がとても腑に落ちた僕でしたが、イタリア人に対する不信はこの時だけ。その後何度かイタリア旅を通じて、現代イタリア人もすっかり好きになりました。
初めてローマへ行ってから10年以上毎年ヨーロッパへ出かけては、いろいろな国を回っていろいろなものを見てくると、一方で日本のいろいろも見えてくる。
当時の日本人はどうだったのか。。。