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フォロ・ロマーノ 神殿 フォロ・ロマーノ界隈4

フォロ・ロマーノにはたくさんの神殿や公共建造物があります。神殿やその他公共施設の円柱や基壇が残るほか、地面には円柱の一部や、柱頭、梁など実に様々な構造物が転がっています。ほとんどが原型をとどめておらず、今でもわずかに残る神殿の円柱が、無造作に転がる大理石のレリーフが、往時を偲ばせてくれる。かつての姿は想像するしかありません。でも遺跡とはそういう想像力を掻き立ててくれる、特に神殿の廃墟というのはとてもクリエイティブな場所になるのです。そんな神殿の遺構を中心に。

■二つの神殿

フォロ・ロマーノの西、カピトリヌスの丘の麓に2つの神殿(の円柱)がわずかながら残っています。

右:ヴェスパシアヌス帝とティトゥス帝の神殿(Templum Vespasiani et Titi)

父である皇帝ヴェスパシアヌス(在位69-79)を祀るため、ティトゥス帝(79-81)が79年に着工して、結局次皇帝ドミティアヌス(81-96)が父帝と兄帝を祀る神殿として完成させました。なので名前が「ヴェスパシアヌスティトゥス」となっています。

今は神殿のファサードの角とコリント式の円柱が3本残るのみ。

左:サトゥルヌスの神殿(Templum Saturni )

種まきと農耕の神サトゥルヌスを祀るローマ最古の神殿。共和政期にはサトゥルヌス神を祀ると同時に、ローマの国の公文書やさまざまな基準器、金銀など国庫が置かれていました。

現在見られるのは、8本のイオニア式円柱とファサードとペディメントの一部。王政末期(紀元前6世紀)に建てられて以降、破壊などにより建て替えられた3代目になります。2代目が3世紀末に火災により消失、ファサードの碑文にはそのことが書かれています。

 

サルトゥヌス神殿のそばに一本のコリント式円柱が立ちます。崩れた廃墟だらけのフォロ・ロマーノにあって、景観上、良いアクセントになっている。これは、

フォカスの記念柱(Colonna di Foca)

ほぼ廃墟のフォロ・ロマーノにあって、白亜のコリント式円柱が立つというのはとても目立つ存在です。フォカスの記念柱は601年に東ローマ帝国皇帝フォカスをたたえて建てられたもので、当時は円柱の上に金箔塗されたフォカスの像が立っていたといいます。

601年といえばコンスタンティヌスがローマを捨てて300年ほどが経ち、西ローマ帝国が滅んで130年ほど経ったころ。ローマも荒廃が進んでいたであろうこの時期には、この円柱もこのときに製作されたものではなくローマが栄えていた頃の遺産をどこかからかもぎとって移設したもの。ちょっと寂しい。

 

フォロ・ロマーノの重要な二つの遺構

左:アントニヌス・ピウス帝とファウスティーナの神殿(Templum Antonini et Faustinae)

五賢帝の四番目の皇帝アントニヌス・ピウスが亡くなった皇后ファウスティーナを忍んで141年に作った神殿です。161年にアントニヌス・ピウスが亡くなった後、五賢帝五番目の皇帝マルクス・アウレリウスが、アントニヌス・ピウスとファウスティーナを神として祀る神殿として完成させました。元々はコリント様式の神殿として誕生しましたが、今見られる姿はまた一味違います。

7-8世紀には神殿はサン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会として再利用されます。その後17世紀にはバロックの新たなファサードが重ねられ今見られるような姿になりました。早くから教会として利用されていたこともあり、フォロ・ロマーノの遺跡の中では保存状態がよい。また中世とルネサンスと古代が調和した貴重な遺産となっています。。ローマにはこんな折衷建築が所々に見られます。

中央:カエサルの神殿(Aedes Divi Iulii)

三角の屋根に覆われた部分はカエサル神殿の基壇部。紀元前44年3月15日カエサルは55歳で暗殺された後、上の写真の屋根で覆われた場所で火葬されました。

その後29年、カエサルの跡を継いだ初代皇帝アウグストゥスによって、カエサルは神格化され、この場所に神君カエサルを祀る神殿を建てたのでした。今は基壇部分が残るのみですが、ここはフォロ・ロマーノで一番人が訪れる場所。その理由はまた後の機会に。

 

カストーリ(ディオスクリ)神殿(Tempio dei Dioscuri)

この3本のコリントの円柱はB.C.449 に建てられたカストーリ(ディオスクリ)神殿のもの。カストルとポルクス紀元前5世紀に起きた追放された第7代ローマ王のタルクィニウスとローマとの戦争の最中、カストルとポルクスという双子の神がローマの勝利を約束した、という伝説に由来する神殿。何度も修復再建されており、この3本の円柱は第2代皇帝ティべリウスが建てたもの。

 

神殿ではないけれど。。

ヴェスタの巫女たちの家(Atrium Vestae)

パラティノの丘へ歩いていくと素敵な庭が現れる。

王政ローマの第2代王ヌマが始めた信仰は炎の神ヴェスタを祀るものでした。以来、フォロ・ロマーノのヴェスタ神殿には聖火が灯され続け、そのヴェスタ信仰を司り、聖火を絶やさぬよう炎の世話をし続けたのが「ヴェスタの巫女」。ヴェスタ神殿に隣接したここは聖火を絶やすことのないように

今は中庭の池とそれを囲んだ巫女の像がわずかに残るのみですが、この空間はとても心地よいのです。

 

次はパラティノの丘にのぼります。

 

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