「フォロ(イタリア語)」とはラテン語で「FORUM(フォルム )」となり、神殿や市場、図書館など様々な公共施設が集まる公共広場のことを指します。古代ローマでは街の大小に関わらずどこに行ってもフォロ(フォーラム)は存在して、沢山の公共施設が建ち並びました。この時代、自分の名前のついた公共施設を街に寄付することが当時の有力者のステイタスでした。当時の金持ち達はこぞって私財を投じ街にその名を刻む公共建築や施設を作りました。その最たるものが歴代の皇帝たちがローマ市民のために造った公共広場、「皇帝たちのフォロ(フォリ・インペリアリ/Fori Imperiali)」で、フォロ・ロマーノの横に隣接するようにつくられているのです。
皇帝たちは市民が買い物したりや演説を聞いたり、行事を催すことができる場、参加できる場としてフォロを提供しました。その広場の中央には自身の像や記念柱を置いてその存在を示したのでした。そのいくつかを紹介します。
*下水色部分がフォリ・インペリアーリ(緑はフォロ・ロマーノ)
カエサルのフォロ / Foro di Cesare
カエサルは正式には皇帝ではありません。帝政の基礎を作り上げた人物であり、実質の初代皇帝としてもよい。またローマきっての英雄であったことから歴代皇帝以上にに扱われます。B.C.46年に完成したカエサルのフォロはフォリ・インペリアリで一番最初に建てられました。
この頃は「犀は投げられた」とルビコン川を渡り、ポンペイウスとの共和政支持者たちとの内乱に勝利したころ。これから帝政へ向けた様々な改革を始めた頃にカエサルのフォロは建設されました。
カエサルのフォロはユリウス家の守護神である美神ヴェヌス(ヴィーナス)の神殿を中心にした広場を、円柱をめぐらした回廊が囲むプラン。今はヴェヌス神殿のコリント式の3つの円柱と、かつて商店が並んだ回廊を支えた円柱が一部残るのみ。
ローマでは有力者が公共建造物を自費で建て寄付するという伝統があり、 それを成した者は建造物に名を残すことが出来た。
カエサルもこのフォロのほかにいくつかの公共建造物を残しており、クリア・ユリア(元老院議事堂)、バシリカ・ユリアなどがそれにあたる。カエサルはこれらを作るために借金まみれになったのでした(このお話はまた別の機会に)。
現在のカエサルのフォロはヴェヌス神殿の基壇と円柱の一部、そして回廊の一部を残すのみ。フォロの大半をフォリ・インペリアリ通りに削られ、またすぐ後ろにはヴィットリオ・エマニュエレ2世記念堂が迫る。後世の建造物に囲まれ、とても窮屈そうに感じます。
アウグストゥス帝のフォロ / Foro di Augsto
カエサルの意思を継いだ初代皇帝アウグストゥスが寄贈したフォロ。軍神マルスの神殿を中心に広場を円柱回廊が囲むプランはカエサルのフォロと似ています。
アウグストゥスはカエサルを暗殺したブルータス一派との戦いに勝利して、このフォロの神殿に復讐の神マルスを祀った。
神殿内部にマルス神と神格化されたカエサルの像を置いたり、回廊にローマの起源であるアエネイアスやロムルス、ユリウス一族の像を配したりとより記念施設の色が濃かったようです。
現在はカエサルのフォロと同じくフォリ・インペリアリ通りに大半を削られている。マルス神殿は、基壇とその円柱をわずかに残すのみ。
圧倒されるのは高さ20mのマルス神殿背後の巨大な壁。
当時の壁の向こうの下町スブラ地区との境として、防火の意味も含め築かれた壁がそのまま残っています。
ネルヴァのフォロ / Foro di Nerva
96年に即位した五賢帝最初の皇帝ネルヴァ。
そのネルヴァがアウグストゥスのフォロ、カエサルのフォロに隣接するように築いたのがこのネルヴァのフォロ。先帝たちのフォロに押され土地不足から細長いフォロとなっています。
トライアヌスのフォロ / Foro Traiano
106-113年にかけて五賢帝の一人トライアヌス帝が建てた、ローマで最大かつ最後のフォロ。皇帝付き建築家アポロドスによって建設されました。市場とフォロで構成され、手前の大きな空間は市場で、今も残る半円形の最大6階建てにもなる建物に150もの店舗が入っていたといいます。奥の記念柱を中心にしたちょっと窮屈な空間が皇帝のフォロ。
113年、高さ40mのトライアヌスの記念柱(下写真)がトライアヌス帝の神殿の前におかれ、最大規模のバシリカ、ラテン語ギリシア語の二つの図書館で構成されていました。記念柱は200mのレリーフによってダキア(ルーマニア)戦役勝利を伝えています。これが螺旋状に巻き付くように円柱に刻まれているのです。