多民族、多宗教、多文化をとりこみ1000年ものあいだ地中海世界を治め、いまだに多くの人々の興味を集めるローマ。そのローマを作り上げたローマ人とは一体どんな人々だったのだろうか?
僕の人生の指南書といえる「ローマ人の物語」第一巻の冒頭、著者である塩野七生さんはローマ人が自己分析した内容としてこう記す。
知力では、ギリシア人に劣り
体力では、ガリア人やゲルマン人に劣り
技術力では、エトルリア人に劣り
経済力では、カルタゴ人に劣るのが
自分達ローマ人である
同時代に生きたほかの民族と比較して、それぞれについては「劣っていた」と謙虚に語りながら、その長所すべてをもっていたのがローマ人であると。正確には「すべてをモノにした」、つまり他民族の優れたところは全て吸収して自らの力としていったのがローマ人。上の言葉はその自信を示している。なぜこんなことが可能だったのか?
その答えはローマ人の「寛容」と「多神教」という二つの特徴によるところが大きいとされている。
ローマ人の寛容(clementia)
ユリウス・カエサルがそうであるように、ローマは代々「寛容」であり続けました。ローマ人はいろいろな戦いに勝ちどんどん領土を広げていくのですが、敗者に対してほとんどの場合占領支配はしませんでした。昨日まで戦ったいた敵にも勝敗決すれば「ローマ市民の友人であり同盟者」としてローマ市民権を与え、同じローマ市民として扱い、国政を扱う元老院の議席すら与えることもありました。支配者として君臨するのではなく、同化して共存する。
奴隷であっても能力があれば自由民となるチャンスがあり、生まれがどこでも貧しくても能力があれば要職への道があるのがローマ社会であり同じような機会が戦いに負けたものにもあたえられるわけです。
ローマの元老院議会はこの言葉で開会されます。
「Patres conscripti ! / 父たちよ、新たに加わった者たちよ!」
今までローマを作り上げてきた先人たちへの敬意と、新しくローマに加わった新参者への呼びかけは、戦いの敗者に対しローマの中枢である元老院議員への門戸ですら閉ざされることがなかったことを意味しています。
ローマ人の多神教 ~30万の神
ローマの多神教は、さまざまな宗教を持った他民族との戦いの後、彼らをローマ社会に取り込むための下地となりました。戦いの敗者に対しても土着の信仰を許すだけでなく、ローマの数多くの神々のひとつとして取り込み、ローマ人自身の神としてしまう。日本の「八百万の神」には遠く及ばないものの、様々な土着の神々を取り入れ、気がつけばローマの神は30万にも膨れ上がっていたそうです。どんなところにも神が宿る風の発想は古代ローマ人と日本人の共通点ではありますね。
ローマ市民権を与えて自由を保証して、土着の神様もローマ30万の神々に同化することで信仰も同化、その過程で優れた文化や技術をローマ人のものとして昇華していく。これがローマが地中海をつつむほどの領土を治めることができた、大きな理由といえます。
「寛容」と「多神教」このどちらか一方でも欠けていたら、「ローマ人」は歴史の中で「その他大勢のひとつ」にしかなれなかったかもしれません。
最後にローマ人と日本人の共通点
・風呂が好き
・温泉が好き
・肉より魚
・発明でなく発展が得意
ローマ人は日本人にとって意外と身近な存在なのです。