cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

カエサル11 ガリア戦役 ベルギー

ヘルヴェティ族(スイス人)の移動による混乱を防いだあと、ガリアの部族長によってゲルマン問題の詳細を知ったカエサルはB.C.58年に冬営に入る前にゲルマン人と対峙して、現在のライン河をローマ世界とゲルマン人の境界とすることに決めます。

ガリア戦役2年目(B.C.57年  カエサル43歳)は場所柄ガリア北西部のベルガエ(Belgae)族の征服行を行います。ベルガエ族はガリア民族なのだけど、すぐ隣のゲルマン人が古くから移り住んでいて、ゲルマン人の血が濃いガリア部族でした。またゲルマン人との争いが日常的だったベルガエ人は勇猛で有名で、このベルガエ人との戦いはローマ軍団であっても相当な苦戦することになります。数で6倍ものベルガエ族戦士との戦いを慎重に進めたカエサルは地形を利用した戦略と、援軍の到着によって何とか勝利し、ベルガエ族を制圧します。

この年のローマ本国への報告を「これでガリアは平和になった」と結びます。2年にわたるガリア制服行によって、ガリアの西側を掌握して混乱の元となるゲルマン人を抑えるという意味でガリアの平和は実現された。そしてローマ本国はこの報告に熱狂し、首都では過去にない最大規模の祝祭を開かれたのでした。

 

さてベルガエ族が住んでいたのは今でいうベルギー、オランダのあたりで、実際ベルギーは旧ローマ世界とゲルマン人の世界との境に位置しており、ベルギーを南北に分断するフランス語圏とオランダ語圏の境がその名残のように今でも存在しています。

もしカエサルがベルガエ族を征服していなかったら、ブリュッセルアントワープブルージュといった珠玉の街々も美食文化やGODIVAをはじめとする高級チョコレートもなかったかもしれません。

ベルギーの美しい首都ブリュッセル

 

ガリア戦役3年目(B.C.56年 カエサル44歳)

ベルガエ族を制圧して軍団を冬営地(現在のフランスのオルレアン)に残し、カエサルが向かった先はルッカでした。当時イタリアの重要な港町だったピサのすぐ近く、今でもとても趣のある城壁に囲まれた比較的小さな街にカエサルポンペイウスクラッススの三頭が秘密裏に集まり会談しました。

とにかくルッカ会談には記録がない。翌年に起こる出来事からすると、B.C.55年の執政官にはポンペイウスクラックスが就くこと、本来元老院が決めるプロコンスルとしての任地をこの時三人で決めたこと、三人が公式にそれぞれ十個軍団の戦力を持つこと、カエサルガリア総督としての任期をさらに五年延長すること、などが話し合われたらしい。秘密裏に行われたため、今でも風光明媚なルッカの街のどこでどんな風にこの会談が行われたのかほとんどわからない。

このルッカ会談が終わったあとカエサルはフランス北西部攻略のためにガリアに戻ります。前年の本国への報告で「ガリアは平和になった」と結んだカエサルでしたが、軍団の冬営期間中にガリア北西部の不穏な動きを察知したためでした。一度はローマに恭順を示したものの他国に従うことをよしとしないガリア人の蜂起はこの後も続きます。

 

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