ナヴォナ広場のこの不思議な細長い形、その理由はかつてここが戦車競技場(スタジウム / Studium)だったことによるものです。ここはかつて「ドミティアヌス競技場(Stadium Domitiani)」と呼ばれていました。
この競技場はもともとはカエサルが計画し、アウグストゥスが後を引き継ぎ完成させました。しかし当時は観客席はじめ建物部分が木製だったため、その後に続く「暴君」ネロが改修工事をして(途中で焼失?)最終的に立派な競技場として残したのは、悪帝として歴史に名を刻む第11代皇帝ドミティアヌス。皇帝ドミティアヌスはレンガとローマンコンクリートの躯体に大理石を貼り、約2万人を収容する U字形のアレーナを持つギリシアスタイルの競技場として紀元86年に完成させました。
*ドミティアヌス競技場の模型
外観はコロッセオのような連続するアーチと飾り円柱が2層で構成され、高さ30mの外壁に囲まれた立派な建物でした。
ローマ滅亡後、中世の建築資材の石切場として建物は破壊され、石材は持ち去られ跡形もなくなってしまいます。しかし建物の基礎部分を活かして後世の建物が建てられたので、競技エリアとなるアレーナ部分縦276m、横54mが北側(地図の上側)の半円形の形も残されて、現在の広場となっています。ナヴォナ広場はこうして、当時の観客席の形に沿って周囲の建物が配置された不思議な広場となったのでした。
様々な広告やポスターの背景として、よく見かけるナヴォナ広場のこの景色。ローマでも屈指の美しい景色です。
今は麗しく煌びやかに見えるこの景色も、二千年前この場所から見えたのは、戦車競技や剣闘試合の張り詰めた緊張感あふれる全く違うものだったはずです。ここはローマの街の歴史の厚みを感じられる場所のひとつ。そしてその味わいは、コロッセオともパンテオンともまた違う深さがここにはあります。ローマという街のとてつもない奥深さを感じられる場所でもあるのです。
この元ドミティアヌス帝の競技場では歴史上有名な悪帝が建設に関わったことがわかっています。「暴君」の代名詞として今でも名を轟かせる「ネロ」、そして死後、記録抹殺刑に処された「ドミティアヌス」。暴君とは本当に暴君だったのでしょうか・・・