僕の職業は会社員です。なにをやっているかと言えば光を扱うエンジニア。今は元エンジニアの事業部門を預かる管理職なんだけど、自己紹介するとしたら「エンジニア」であることを強調します。今何をやっていてもエンジニアである(あった)ことの誇りというか、こだわりは捨てられないものです。ゼロから何かを作るという誇り、創造者としてのプライドと、今まで一緒に仕事したかっぱさんやKb達の顔を思い浮かべながら「エンジニア」を名乗っています。
さて古代ローマでは「剣闘士(グラディエーター/Gradiator)」という職業がありました。何をするかといえば、体鍛えて技を磨いてコロッセオなどの闘技場の大観衆の前で華麗に技を披露して相手を倒して、ローマ市民の皆さんを熱狂させるのが仕事です。こちらも相当な誇りを感じることのできる職業でした。
「円形闘技場での剣闘士の試合」と聞くと「血生臭い殺し合い」「公開殺戮」を連想しますが、すべてがそうだったわけではないようです。闘技場でのメインイベントである「剣闘士の戦い」は剣闘士が鍛えられた華麗な技を披露する場でもあった。時間の流れの中で「ある時期は」と注釈が必要かもしれませんが、剣闘試合にはルールがあり審判が存在し、降参を示すことも許されたといい、必ずしももどちらかが命絶えるまで戦うというものではなかったともいいます。もちろん凄惨な殺し合い、公開処刑のような残酷なものがあったのも事実ですが、洗練された剣闘士同士の鍛え上げられた技の応酬は、当時の最高のエンターテイメントだったと想像します。そしてそれを実現するのがグラディエーターという職業でした。
*人気グラディエーターを示すモザイク画
剣闘士の生い立ちは様々で、映画グラディエーターで描かれたように、ローマが征服地から連れてきた奴隷の中から選ばれた屈強な男たちであったり、主人と折り合い悪い奴隷であったり、罪人であったり、政治犯だったり。選ばれた奴隷は「剣闘士養成所」に送られ、衣食住をあてがわれながら剣闘士になるべく教育訓練を受けます。本番では煌びやかな甲冑を身にまとい、かっこいい「ニックネーム」をもった剣闘士として大観衆の中に立ち、厳しい訓練の成果を見せることになる。命果てるまで戦う場合もあったのだけど、映画のように勇敢に戦い、観客を魅了した剣闘士は敗れた時でも、観客が助命を大合唱し皇帝が認めれば命が守られたりもする。優秀な剣闘士であれば奴隷の身分から解放され自由民となることもできました。
ローマ世界で「剣闘士」とは、大怪我を負ったり、命を失うリスクは大きいものの、高収入と栄誉と自由民への道が期待できる、そして人気剣闘士になれば、たくさんの女性にモテる魅力的な職業だったといいます。なので、剣闘士として活躍し、自由民の権利を手に入れ一度引退した元奴隷剣闘士が、その後の生活に物足りなくなり再び職業「グラディエーター(剣闘士)」としてこの世界に戻ってくるということも珍しくなかったといいます。
人気が出ればパトロンもついただろうし、見事な派手な甲冑などが支給された。もしかすると入場も専用の曲や専用の演出などもあったかもしれない。闘技場の周りでは人気剣闘士の人形や食器、置物などのグッズ販売もされていたというから、これはもう現代の格闘技イベントとなんら変わらない。というか現在の格闘技イベントが古代ローマの剣闘試合を参考にしたかもしれないし、そもそも人間の本質は変わらないから、人が絡めば自然とこういうことになるのかもしれない。 息永く活躍した剣闘士は、怪我から自分の体を守るために、筋骨隆々の肉体というより、適度に脂肪を身に纏ったやや太り気味な体型だったらしい。このへんは現代のプロレスラーがそうだ。
古代ローマの社会では古くから「剣闘士の戦い」は行われていて、最初それらは「神々への奉納」や「亡くなった人の追悼」を目的に行われたと言います。それがやがて人間の本能を刺激して「見せ物」としての格闘技へ進化する。そのうちそれを効果的に見せる「円形闘技場」が発明されて剣闘士の役割も大きく進化していった。
円形闘技場での見せ物には、公開処刑といった残酷な内容があったのも事実で、そこで処刑された人々が全て悪ではなかったということも知られているから、円形闘技場で行われた事柄全てを肯定するわけではないのだけど、こと剣闘士の試合に関して言えば、現代の格闘技イベントと同じく華やかで、そこに立つ剣闘士は人々を魅了する立派な職業だった。でも現代の格闘技と同じくその栄誉に浸れる剣闘士はほんの一握り。「職業はグラディエーターです」って胸張って言える人は、そう多くはいなかったでしょう。そして自分がグラディエーターであることを告げる時、自分がこれまでに倒してきたたくさんの同業者や仲間達のことを思い浮かべて、その彼らを背負って「職業はグラディエーターです」って言ってたんだろうなあ。