「この装置は魂こもってない!」
今でもはっきり覚えてる。誰かが設計した出来の悪い装置に向かって同期のヤマキの口からこのセリフが放たれたとき、僕は正直感動を覚えたのでした。「人ってここまで変われるんだな」と。
エンジニアの仕事というのは、見た目だけでなく、その表面には出てこない中身までを見て初めてその本当のレベルがわかります。例えば一般の人が使う製品は、おんなじような姿形でも、私たちが使うときに全く違和感を感じないくらい人に馴染むものが高い次元の仕事である一方で、あまり考えずに作っちゃったものは、やはりそれなり。エンジニアが本気でとことん考え抜いてできたものとはやはり使い易いし、美しいものになるのものです。あ、でもセンスのあるエンジニアでないと、こうはならないのですけどね。「考えて考えて考え抜いて全部盛り」というのがバブルからしばらく続いた日本の家電の姿であったり、ガラパゴスと言われた頃の日本のガラケーだった。iPhoneやiPadが登場すると各社こぞって見た目が同じ製品を作って出すのですが、製品としての完成度は低い、みたいな現象が起きたのを思い出します。
さて話を同期のヤマキに戻します。彼とは僕の最初の会社での同期入社で、彼は高専卒で年は二つか三つ下でした。当時の高専卒の同期はみんな真面目でおとなしい感じ(に見えた)。バブル最後の大卒同期組のはっちゃけた感じとは一線を引いたような、安心感があった。大卒組と高専組どっちにこれからの日本を託すか?と言われたら、迷わず高専卒組を選んだだろう。ところがヤマキは、他の高専卒組とは違う軽さがありました。でもバブル最後の大卒組の軽さとはまた違った質のものだった。僕は製品開発で、ヤマキは生産技術という部門にいた。前に紹介したKbと同じ部署で、僕らが開発したものを、ヤマキの生産技術部がそれを作る設備や装置を作る、という関係。仕事柄一緒に工場に出張して、一緒に製品の立ち上げをするということがあった。まだ入社してまもない頃は、出張先で一緒に仕事をしていると、ヤマキは夕方近くなるとソワソワし出して、早々に、しかも勝手に仕事終わりモードになっている。そして僕の横に来てニヤニヤしながら「そんな仕事さっさと切り上げてご飯食べに行こうぜ」なんていう、ヤマキは最初そういうタイプの社員だった。
そんなヤマキだったけど、何度か僕が開発する機種を担当して、一緒に仕事をするたびに彼はどんどん進化していった。その仕事の面白さに気付いたのか、体育会系の先輩方に鍛えられたのか、感化されたのかはわからない。気づくとそこには真面目に仕事に取り組むヤマキの姿があったのでした。あんなにチャラチャラしてたやつが、この数年ですっかり敏腕エンジニアの顔になっていた。独学で勉強してすごい装置を作ってしまったり、0.1秒の動作を詰めて、1ミクロン以下の精度をこだわり、どんなレベルのエンジニアでも汎用的に使える装置用の共通ソフトを作ったり、その活躍は目を見張るほどでした。
そんなヤマキと最後で最大の仕事に取り組んだとき、ヤマキは僕が1言えば20を理解してくれる頼もしい相棒になっていました。僕の扱っていたアイテムは生産技術の腕がとても重要だった。ヤマキは僕のアイディアのほとんどを叶えてくれて、さらに良くなる工夫を貪欲に行なってくれた。その結果、ヤマキと僕はほかが絶対真似のできない、どこからどう観察されても、形を真似るだけでは実現できないデバイスとその生産設備群を二人三脚で作り上げたのでした。
この仕事をしていたときのある日、出張先の立ち上げ現場であのセリフがとどろいたのでした。
「あの設備は魂こもってないからダメなんだ!」
彼の成長を横で見てきた僕は、このときなんというか、親にでもなったかのような気持ちだった。「いやー立派になったものだ」と。
エンジニアが「魂」込めるものは緻密で隙がなく、その出来上がりはとても美しいものになるのです。エンジニアには「設計思想」という言葉がある。「なぜこの形にしたか」「どうしてこの機能をここに入れなければならないのか」という理由や設計全体とのつながりがレベルの高いエンジニアほど、一つの設計多くの思想を込めるものです。でもこのとき僕とヤマキが到達した領域は、「思想」のさらにずっと上の、確かに「魂入った」という言葉がピッタリ合う、そういうものを二人で作り上げたと思っています(もちろん二人で中心になって、です)。ヤマキが作った装置は素晴らしかった。設計者である僕の魂こもった製品を実現してくれる、魂入った設備を作り上げてくれた。
僕はこの仕事で、この世界で全てをやり切ったと感じたし、その仕事はヤマキがいなければ完成できなかっただろう。
僕はこの仕事を完成させて、良くも悪くも技術的に満足してしまった。その後別の会社に移り、自分の、自分たちの仕事を客観的に眺めることのできる立場となった。当時のお客様や、かつてのライバル会社の仕事を見て回ったとき、自分たちのやってきたことは正しかったし、「業界でも一番魂こもった仕事をしてたんだ」ということを実感することできたのでした。もちろんそれは、会社の環境のおかげでもあり、そこで一緒に過ごした、ヤマキやKbやカッパさんやしんちゃんなど、たくさん人たちのおかげのによる結果であることも忘れてはいけないと思っている。
僕には持論がある。
「35歳を超えると人は変わることができない」
今まで、たくさんの色々な人と仕事をしてきての独自の分析結果によると、35歳を超えた人はほぼ思考パターンや行動パターンが出来上がってしまって、そこから脱することができない。「こうした方が良い、ああした方が良い」とアドバイスや指導をしても、そこから進化するケースはほとんど見ることはできなかった。そういう人の場合、「今までの延長」の仕事では力を発揮するのだけど、同じ分野の中であっても少し違う新しいことへの対応力は格段に弱いという傾向がある。
でも、中には35過ぎても未知なことにも対応できる人たちがいます。そういう人たちは35歳までに「変われる自分」になれた人たちなのです。この人たちは変わることを厭わないので幾つになってもどんどん進化していく。そういう人達との仕事はとても楽しいし、学ぶことも多い。だから今まで僕は若者たちに必ずこの話をしてきました。「35歳超えると変われなくなるから、今のうちに変われる人材に、変わることを恐れない人材になれ!」と。
僕がこのことを悟ったのは、ヤマキを間近で見ていたからかもしれません。ヤマキは30になる前に早々と「変われる人」になっていた。僕もみんなのおかげで「変われる人」になれたと思う、多分。