
3月15日は欧米人なら誰もが知っている「カエサルが暗殺された日」。紀元前44年3月15日(Idus Martiae)、カエサルは元老院議会場で、トーガの下に短剣を隠し持った14人の反カエサルの元老院議員によって暗殺されたのでした。カエサルは55歳の年に、誕生日を4ヶ月ほど後に控えたこの日にその生涯を終えました。僕も今55歳。誕生日もあと3ヶ月足らずというタイミングで、こんな時期にカエサルは人生の幕を閉じたんだなあと思うと感慨深く、今までの3月15日とは一味違う、Idus Martiaeとなりました。
また今年の3月15日は、前日が長女の高校の卒業式でした。そして今年の3月15日は父の葬儀が行われて、その体がこの世から消えてなくなってからちょうど十年目の日。カエサルが暗殺されたのと同じ年齢で迎えた今年の3月15日はいろいろな思いが交錯する特別な3月15日となりました。

この時期は河原の菜の花が満開です
僕は会社を休んで長女の高校の卒業式に出席しました。
長女の高校はちょっと異色な公立高校で、普通科の他にスポーツ専門、美術専門の学科があったりする、また語学にも力を入れていて、公立高校でありながら英語のほかにフランス語、ドイツ語、中国語といった第2外国語を本格的に学ぶことができる。ちなみに長女は中国語専攻でした。
また、ひと学年だけで20クラス800名ほどの生徒がいるマンモス校で、校舎も廊下が広々してとてもゆったりした作りで、グランドもサッカー、野球、ラグビー、テニス、ハンドボールなどのフィールドがそれぞれあり、体育館もいくつもあって、という感じでとても恵まれた学校なのです。この高校は僕が高校生の時に開校したのですが、当時から公立なのにとても斬新な学校として有名でした。
さて、無事に卒業となった長女の高校生活は、一筋縄ではいかない波瀾万丈の3年間でした。
入学してすぐ部活に参加して、出場した試合でいきなり足を痛め、2ヶ月間足にギブスをはめた状態で松葉杖で登校することになる。ほろ苦くも派手な高校生活のスタートでした。試合に出ていきなり松葉杖って、どんな格闘技かと思うかもしれませんが、部活はテニス部です。最初、なかなか認めてもらえず試合の出場機会にも恵まれず苦労するのですが、頑張って力をつけて2年生の最初にはトーナメントを勝ち進み、自分の力で県大会出場を決めた。そしてその実績や部活への姿勢が先生や先輩に認められて、部長に任命されます。でも、今まで長女の上にいた同級生らがそれを受け入れられなかったのか陰湿な「いじめ」を始めるのでした。無視、仲間はずれ、ボール拾いやコート整備も協力しない。1年生の頃はとても仲良くしていたはずの仲間が、手のひら返したようにあからさまに嫌がらせをする様になり、言葉や態度などでかなり露骨ないじめをする様になった。「前はあんなに仲良くしてたのに」と長女は強烈な人間不信に陥ることになりました。家で泣きながらその話をする長女に「無理して続ける必要ない。やめる選択肢もあるよ」と諭すも、「それは負けることになるからやだ!」と親の心配をよそに部活は続けるという。そんな長女に「それじゃあ、部長という「仕事」だと思って、何を言われてもやられても、ドライに自分のやるべきことだけしっかりこなしなさい」と送り出しました。
長女は結局いじめに屈することなく、自分が正しいと思う信念を貫いて過ごした。練習も一生懸命、後輩たちへの指導も一生懸命、いじめに対しては淡々と対処できた(らしい)。とはいえ、いじめ行為はやられたら、嫌な気持ちになるはずだし、辛かったと思うけど、なんとか自分をコントロールして過ごすことができたようです。でもそんな長女の姿を後輩たちがしっかり見てくれていました。他の3年生たちの異常さを見極めて、長女の味方になってくれた。
3年生の最後の大会では、いじめ同級生は早々に敗退し、長女だけが県大会へ勝ち残った。長い長いいじめに屈することなく、長女は自分が正しいと思うことをを貫いたのでした。そしていじめ同級生がいなくなった後、長女の部活生活はガラッと大きく変わりました。長女を支えてくれた後輩たちと短いながらもとても楽しく練習して、部活以外も楽しく過ごせる様になったのでした。長女にとってはとても辛い時期を乗り越えて、最後にそれまでが嘘のような幸せな高校生活を過ごすことができた様です。年下の親友もできたようです。
「終わりよければ全て良し」
長く寒いドロドロしたトンネルを抜けた先に、とても暖かく心地よいお花畑が待っていた、そんな風に僕には見えました。
たまたま先生方や理解ある後輩たちが周りにいてくれたおかげで、結果的に長女にとっては終わってみればとても貴重な経験をすることができた。そして本当によく頑張った。娘ながらとても誇らしい。
そして長女は勉強も頑張った。部活でもそうなのですが「負けず嫌い」が激しくて「負けてたまるか」的な頑張り方はとても小気味良いものでした。中学の時は勉強のコツが分からず苦労していたけど、高校に入ってから何か自分のコツを見つけて、勉強した分だけ結果が出ることもわかったらしく、本当によく勉強していました。通学の電車の中はもちろん、おばあちゃんの家へ行く時も必ず勉強道具を持っていき、隙あらば勉強する。外食先でもちょっとした勉強道具を持っていき隙間時間に勉強する、試験期間中は朝は4時に起きて勉強して、夜風呂の後のドライヤーで髪の毛を乾かしながら勉強する。自分の高校時代と比べて、目が点になってしまうくらい、長女は勉強してました。そして頑張った結果、無事希望の大学へ進学を決めることができました。その様子は親としても、「尊敬します」というくらい気持ち良い活躍ぶりでした。
ケガで始まった高校生活、途中陰湿ないじめに屈することなく乗り切って、最後は部活も勉強も共に成功を勝ち取った、素晴らしい3年間となりました。
部活も勉強も頑張った長女だけど、親として一番嬉しかったのは、卒業記念に後輩たちが一生懸命書いてくれた寄せ書きでした。みんなそれぞれ選手として先輩としての長女の姿以上に、ひとりの「人」として認め慕ってくれたことが滲み出てくるようなメッセージを書き残してくれて、これはもう親としてこれ以上の喜びはありません。
長女も本当に頑張ったけど、周りの人たちにも恵まれた。長女もそれをちゃんと理解してるし、これはこれから長い人生を歩む上でこれ以上ない財産になっただろう。もしかすると、亡くなって10年経ったおじいちゃんの導きかもしれない。そう思わずにいられません。
生まれて18年、長女は今や立派な「人」になりつつある。この先も色々な困難に向かい合い、一生懸命に取り組むことができるだろう。これからも良い人たちに囲まれて良い人生を送ってくれる様な気がします。
さて卒業式が始まる前は、そんな色々な出来事を思い出して、僕は号泣しちゃうんじゃないかと思っていました。でも実際の卒業式が始まると、目の前のお父さんがオイオイ泣きだしているのを見てたらなんだか冷静になってしまって、ほとんど泣かずに終わってしまいました。
2025年の3月15日いつもより特別なこの日はこうやって過ぎて行ったのでした。