
何気なく見かけた風景写真が忘れられなくて、どこの何かはわからねど、いつか行ってみたいと思う、そんな場所が僕にはいくつかありました。ドイツのノイシュバンシュタイン城、パリのモンマルトルの情緒ある階段、モン・サン・ミシェル。。。今日紹介する通潤橋もその一つ。昔からこのアーチ橋のてっぺんから水が放水される様子に惹かれ、どこのなんだかわからないけど、いつか行ってみたいと思っていた場所でした。
たまたま最近熊本に行く機会が増えて、たまたま熊本で週末を過ごすことになり、時間ができたので初めて熊本観光をしようと調べたら、あるじゃないですか。
この橋は「通潤橋」というそうで、江戸時代の末期1833年(天保4年)〜1861年(文久元年)に布田保之助という人物が建てたというもの。布田さんはもともとこの辺の新田開発やそのための灌漑事業などを多く手掛けていたそうで、この通潤橋もその一環だったと言います。

この谷に渡された、いわば水道橋。見事なアーチとそれを構成するフォルムやその石積みは、なんとも芸術的。通潤橋の上は水路にもなっていて、その周りに広がる水田に水を供給する役目を果たします。この日はとてもおとなしかったけど、4月からは上部からの放水が始まるそうで、僕がみて憧れた姿を見ることができるらしい。
近づいてどんな風に石が積まれている様子を観察します。この緻密な波打つような石積みがたまりません。一つとして同じ形の石がないところがまたすごいです。

ここに来て、古代ローマの水道橋「ポン・デュ・ガール」を思い出しました。自然に溶け込む石造りの巨大建築。時代も場所も違うけど共に芸術的な建築として後世に残っている。素晴らしいことだ。
通潤橋を見渡せる場所に、これを作った布田保之助さんの銅像がある。今までいろんな銅像を見て、銅像にはそれほど思いを馳せたことはなかったけれど、今回この布田保之助さんの銅像を前にして、「羨ましい」という感情が湧き上がってきました。

僕はこの橋の麓で、水際に腰を下ろしてしばらく通潤橋を眺めていました。心地よい水の音を聞きながら、建設当時の様子を想像しながらぼーっと過ごしたのです。木で半円形の枠を作り、石をアーチ状に積み上げていく、石の形と位置を調整しながら隙間なく美しく積み上げていく作業はとても手間だろうけど、楽しかっただろうな、とか。
で、出来上がった美しい橋が見える場所に、銅像としてここに立つことは、建築家冥利に尽きるというかなんというか。よほどの名建築か、超有名な建築家でない限り建物もそれが誰が建てたものかも忘れ去られてしまう。通潤橋とそれを建てた布田保之助さんはここで、人々に忘れられることなく存在する。
今まで僕はそんなこと考えたことなかったのですが、この橋と像を見てなんかとてつもなく羨ましいと思ってしまったのです。なぜだろう?多分年齢的なものなんだろうな。
仕事をして、世の中に知れ渡るものを開発する機会にも恵まれたし、波瀾万丈でとても満足できるエンジニア人生を歩んできてるけど、もうあと数年でゴール、というか引退が見えてきた時に、自分の成したことは今となっては人々の記憶の中だけに存在して、やがて忘れられてしまうのだと思うと、僕の父が残した東京の地下鉄や、布田さんが残したこの通潤橋がとても羨ましく思えてならない。

通潤橋の下を流れる川は段差を心地よい音を立てて、流れていきます。時間を超えて存在していく石造りの橋とそれを作った地元の建築家(土木家)、この先も何百年も、もしかすると千年もこの場所に存在していくのかもしれません。尊敬と共に、とてつもない嫉妬をしてしまいます。
人生100年のこの時代、僕もこれから何かを残すことができるだろうか?