
Stanze di Raffaello / ラファエロの間
ローマ教皇ユリウス2世により、教皇の4つの居室の壁画を描くことを依頼されたのは1509年、ラファエロが25歳のときでした。「コンスタンティヌスの間」「ヘリオドロスの間」「署名の間」「ボルゴ火災の間」の4つの空間に、ラファエロは工房の弟子とともにフレスコ画を描きます。
現在「ラファエロの間」と呼ばれるこれら空間が完成したのは1524年、ラファエロが37歳でこの世を去ってから4年後のことでした。
ラファエロの間は、最初に手がけた「署名の間」以降は徐々にラファエロが直接筆を入れるケースが減っていったといい、最後となった「コンスタンティヌスの間」についてはラファエロの死後に弟子ジュリオ・ロマーノが師の画風を再現しながら制作したものであり、ラファエロは直接関わっていないと言われています。なので「ラファエロの間」の中でラファエロが一番深く関わった「署名の間」がフレスコ画の質も価値も最も高いと言われます。
「署名の間」に向かい合って描かれた2枚の絵「聖体の議論」「アテネの学堂」はラファエロがローマに招聘されて最初に描かれた作品。
◾️聖体の論議
「聖体の論議(Disputa)」は1509年にラファエロがローマに来て一番最初に描いた作品。
一筋の雲を境に「天上」と「地上」が描き分けられています。
中央の軸として天上から「父なる神」「キリスト」「聖霊」の三位一体が示され、その下の地上の中央に祭壇に置かれた聖体顕示台が置かれています。
その軸を中心に、天上では聖母マリアやモーゼといった、新約聖書、旧約聖書の聖人たちが描かれ、天上の至福者たちの世界が表現されます。その下の地上では、聖体顕示台を中心に聖体の栄光を賛美する神学者たち、教皇たちが描かれることによって、地上の信仰者たちの世界が表現されています。

「聖体の論議」
◾️アテネの学堂
そして、「聖体の論議」と向かい合ってあるのが、この「アテネの学堂(Scuola di Atene)」。1509年〜1510年に「聖体の論議」のすぐ後に描かれました。そしてこの「アテネの学堂」はラファエロの代表作、最高傑作のひとつとして広く知られています。
ルネサンスの建物の中、プラトンとアリストテレスを中心に古代ギリシアの賢人哲人たちが集まって議論している様子が描かれています。またこの絵に描かれている人物たちは、描かれた当時の著名人がモデルとなっています。例えば中央左のプラトンはレオナルド、下で頬杖を突いているの哲学者ヘラクレイトスはミケランジェロ、右端から2番目のちょこんと顔を出している人物はラファエロ本人、そのほか当時の貴族や芸術家が登場するという具合に(アテネの学堂についてはまた別の機会に)。

「アテネの学堂」
僕がここにきた当時、右の1/3ほどの範囲が修復中で見ることができませんしたが、思っていたよりも巨大で鮮やかな画面が僕を圧倒します。そしてモデルとなったレオナルドとミケランジェロを間近に見ることができた僕は、改めてルネサンス期に時代の天才たちがローマに集まった特殊性とフレスコ画の色鮮やかな発色に感動するのでした。

そして略奪されるリスクがある絵画作品ではなく、どこにも持ち去ることのできない壁画を残させた歴代教皇たちには関心すると同時に、これら人類の至宝を現代まで見事に保存されたことに感謝もするのです。
またこのことは現代に至るまでヴァチカンでしか見ることのできない名画を存在させて、ヴァチカン美術館としてその存在意義をさらに高いものにしています。
パトロンでもあった神の代理人「教皇」と神からその才能を授かった超一流の芸術家たち。作品の裏側には教皇と芸術家たちとの壮絶な戦いがあったといいます。
次はその戦いの上に成立した人類の至宝がある場所、システィーナ礼拝堂へ行きます。