
このルネサンスの巨匠の生涯にとって、ローマとのかかわりは驚くほど少ない。
1514年レオナルド62歳のときから1516年64歳でフランスのアンボワーズに移り住むまでのわずか3年足らずをローマで過ごしただけでした。それも期間が短いだけでなく遂に仕事らしい仕事をすることなくローマを去ることになるのでした。
レオナルドがローマに到着したのはラファエロが「アテネの学堂」を完成させた3年後、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を完成させた1年後でした。ローマではヴァチカンのベルヴェデーレ宮殿に住み、教皇からの仕事の依頼を待ったのですが、ミケランジェロやラファエロのような仕事はついに得られず、鏡や絵の具、天体望遠鏡の研究をしてすごしたといいます。
格上と言っても良いかもしれないこのルネサンスの巨匠のローマでの扱われ方は、なんとも切ないものです。
その性格からか扱いづらく、気まぐれと取られても仕方ない「作品を完成させない癖」はやはり、パトロンたちからは受けも悪かったと容易に想像がつきます。
ミケランジェロは彫刻家であると同時に天才的な「職人」だった一方で、レオナルドは芸術家の前に天才的な科学者、言い方を変えると「探究者」だったといえます。探究者は探究が続いている間は頭の中でも現実世界でも作業は進むのだけど、天才であるが故に頭の中でそれが完成してしまうと、現実の完成はどうでも良くなってしまう。レオナルドの「作品を完成させない癖」の理由はこんなところにあるようです(真実は探究しようがないのだけど)。
下はレオナルドの自画像。この自画像は1512年ごろに描かれたとも、ヴァチカン滞在中に描かれたとも言われています。何も仕事を与えられずに過ごしたローマでの状態を憂うような複雑な表情を浮かべているように見えなくもない。

レオナルド自画像 トリノ王立図書館所蔵
生前はローマとは不遇で縁の薄かったレオナルドでしたが、そのローマにあっても現代においてはこの1枚の絵のおかげで、ミケランジェロ、ラファエロに劣らない存在感を示しています。前回紹介した「荒野の聖ヒエロニムス」。この絵は多分後世の人々にレオナルドがローマにいたことを知らせるために、波瀾万丈の旅路を経て、この絵の意思でローマに、ヴァチカンにたどり着いたのだと思います。
規模で言うとラファエロの「アテネの学堂」やミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画、祭壇画とは全く比べ物にならないけれど、その存在感は同じかそれ以上のものがある。

突き抜けた天才であるが故にレオナルドは描いている途中であっても、頭の中でその絵が完成してしまうと描くのをやめてしまったのだと想像され、レオナルドの作品の大半が未完成となってしまうのはそこに理由がありそうだ。凡人には到底辿り着くことはできない領域、天才であり、科学者であり、探究者で、さらにとてつもない変わり者、それがレオナルドという人物でした。
ローマでおそらく失意の時間を過ごしたあと、1516年冬にレオナルドはフランス王フランソワ1世の招きに応じて、フランスはアンボワーズに向かいます、「モナリザ」、「洗礼者ヨハネ」、「聖アンナと聖母子」現在ルーブルの至宝となっているこの3枚の絵とともに。