
ローマの記録で最初にラファエロが登場したのは1509年「署名の間の装飾の報酬として100ドゥカートを受け取った」という記述があるそうです。ラファエロが教皇ユリウス2世の招聘に応じてローマに来たのは1508年。署名の間をはじめ教皇が使う重要な4つの部屋の壁画を任され、さらにその後もサン・ピエトロ大聖堂の建築主任を任されたり、古代遺跡の発掘の監督官を任されたりと、ユリウス2世とレオ10世という二人の教皇に重用され、様々に重要な仕事がラファエロに舞い込みます。ローマでの12年はラファエロにとって最も充実した時期だったようです。
ラファエロはレオナルドよりミケランジェロよりも、教皇に好かれていました。その理由は単純で、神のような才能を持ちながら、気まぐれで気難しく扱いづらい上、仕事はいつ終わるかわからない先輩二人とは対照的に、仕事は期日通りにちゃんと仕上げ、愛想良く社交上手であったことで、教皇としても安心して仕事を任せられたし、何かあればすぐ相談もしやすかった。ラファエロは大規模な工房を経営してたくさんの作品を残しており、ルネサンスの3大巨匠の一人ではあるけど、いわゆる「天才芸術家」というより「ビジネスマン」だったのだと思います。なので教皇たちとも建設的な会話ができたでしょうし、期日通り仕事を終えることを重要視していたのでしょう。
「アテネの学堂」1509-1510年 ヴァチカン 署名の間
ラファエロのローマ、ヴァチカンでの仕事の中で最も有名で評価されているのがこの「アテネの学堂」。架空のバシリカを舞台に、古代ギリシアの賢人哲人たちが一堂に会している様子を描いています。

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そしてこの絵に登場する人物たちのモデルはこれを描いた当時の有名人や著名人。
「アテネの学堂」では中央左の威厳を持ってアリストテレスと議論するプラトンはレオナルドがモデルとして描かれ、その下のなんだか投げやりで頬杖ついた気だるい人物ヘラクレイトスはミケランジェロがモデルとして描かれている。おそらくこれが当時のラファエロから見た二人の巨匠の姿だったのでしょう。

31も歳の離れたレオナルドを慕い、レオナルドの絵を模写したり、参考にしたりしていた、ラファエロにとってレオナルドは父ような存在だったかもしれない。一方で大嫌いなレオナルドを慕うラファエロのことを、8歳年上のミケランジェロは快く思ってなかった。自分と対立するレオナルドを慕うラファエロに対して、ミケランジェロは冷たく接したといいます。それでもラファエロは、とても仲の悪かった先輩二人の間を取り持とうと苦心もしていたらしい。当時のヴァチカンで「3人の天才」が集まる奇跡のような状態であったわけだけど、一歩作品から離れれば、レオナルドに対して敵意を隠さないミケランジェロ、そんな二人をうまくとりなそうとする「敏腕ビジネスマン」ラファエロの構図はなんだか想像すると面白い。
そしてラファエロ自身は「アテネの学堂」の右の隅っこにチラっと登場していて、周りの誰かと議論するでもなく、視線をこちら(この絵を見る側)に飛ばし、「あの二人どう思います?」って問いかけてるように見えなくもない。

「キリストの変容」1517-1520年 ヴァチカン美術館
この絵は1517年から1520年にかけて描かれました。ラファエロは1520年に亡くなっているので、この絵がラファエロ最後の作品(未完)となりました。
元々この作品はフランスのナルボンヌ大聖堂の祭壇画とされる予定でしたが、ラファエロの死によって依頼者であったジュリオ・デ・メディチ枢機卿はフランスへは送らずに手元におき続けたと言います。その後1797年のナポレオンによるイタリア遠征の際にこの絵は奪われ、フランスはパリに持ち去られ、しばらくルーブルに置かれました。最終的にはナポレオンの死に伴い1815年に「キリストの変容」は他のいくつもの作品と共にヴァチカンに戻ってきました。

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ラファエロは教皇たちに重用され、たくさんの仕事に恵まれたのだけど、37歳の若さで突然人生の幕を閉じることになります。ヴァザーリによれば、ラファエロは「度を越えた放蕩」で、早死にしたのはその不摂生が原因だったとされていますが、真相はわかりません。前年1519年にレオナルドが、そして1520年にはラファエロが亡くなりルネサンスはこの2年の間に巨匠二人を失うことになるのでした。
ルネサンスの芸術家の中で最もヴァチカンに愛されたラファエロのその亡骸は古代ローマのすべての神々を祀る神殿パンテオンに埋葬されました。
ルネサンスの3巨匠
ローマ以前、フィレンツェ時代からラファエロは、レオナルドとミケランジェロ、二人の巨匠の仕事を間近に感じ、直接目の当たりにして過ごし、当然大きな影響を受けてきた。レオナルドとミケランジェロ強烈な個性の傍に、献身的に静かに寄り添うラファエロ、ルネサンスの3大巨匠とはこんな構図。気難しい巨匠二人のエッセンスを貪欲に汲み取って、最もバランスの取れた作品を生み出した。ラファエロが残したのは「圧倒的な作品」というより誰もが惹かれる、万人に受ける作品となったのでした。
ラファエロが亡くなってルネサンスは変容していく。ルネサンスの巨匠たちを越えることができなかった後世の画家たちは、マニエリスムへと流れて行ったのでした。