
ヨーロッパ各地を歩くとカエサルの名前があちこちでみることができるの同じように、ローマの街を歩くとベルニーニの名前をあちらこちらで見たり聞いたりすることになります。
ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini,1598-1680)
ルネサンスの巨匠最後の一人のミケランジェロが亡くなったのが1564年だから、その34年後にベルニーニは生まれ、ローマで活躍し始めたのは半世紀後。芸術の潮流はルネサンスからマニエリスムそして、バロックへと移り、ベルニーニは「バロックの巨匠」として扱われます。でも、
「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのために作られた」
と言われるほどにローマとベルニーニとの関わりは深い。今ローマに出かけて、観ることができるローマの街の風景の多くがベルニーニが手がけたものだったりします。

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20代で製作した四つの彫刻がベルニーニの名声を確実にします。「アイネイアースとアンキーセース(1618 - 1619)」、「プロセルピーナの略奪(1621 - 1622)」、「ダヴィデ(1623 - 1624)、「アポロとダフネ(1624 - 1625)」。現在ボルゲーゼ美術館に所蔵されているこれら作品は、石であるはず大理石が、まるで人の肌や薄い衣のような柔らかいものであるかのように見える。人々はベルニーニの才能に驚嘆したと言います。
また17世紀に入ったばかりのこの頃は宗教改革の嵐が吹き荒れた後、時の教皇ウルバヌス8世はローマ・カトリック教会の威厳を示すために「首都ローマの改造」に着手します。そして、その中心人物にベルニーニを指名するのでした。
早速ベルニーニはその才能を発揮して、教皇の示すローマ改造を推し進めていくことになるのです。
まず
サン・ピエトロ大聖堂の天蓋 (1624-1633)

ウルバヌス8世の墓碑の製作(1627)
スペイン広場の「船の泉水(1629)」

バルベリーニ宮殿(1630)
トリトーネの噴水(1642 - 1643)
ナヴォナ広場 4大河の噴水(1648-1651)

ポポロ広場のサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の身廊と翼廊の装飾と、彫刻「ダニエルとハバククと天使」の制作(1655 - 1661)。
この双子の教会建設にも携わったと言われています。

サン・ピエトロ広場 (1654-1667)

サンタンジェロ橋からサン・ピエトロ大聖堂に至る巡礼の道を壮大に装飾する大規模な計画に着手。
サンタンジェロ橋にキリスト受難の聖遺物を手にした天使を並べ「受難の道」にして、サン・ピエトロ広場には円柱を並べて巡礼者を誘い、大聖堂に入ると巨大な天蓋(バルダッキーノ)がペテロの司教座と共に巡礼者を迎えるという、壮大な仕掛け。
その最初であるサンタンジェロ橋。この10体の天使像のうち2つをベルニーニ自身が手掛けたと言います。

ベルニーニは17歳〜81歳まで60年以上の間、制作活動を続け彫刻の質を大きく進化させたと言います。3人の教皇の後ろ盾を得ながら、「ベルニーニのための作られた」ローマの街を舞台にベルニーニは彫刻や建築に大きな功績を残しました。生前からその仕事は認められ「バロックの天才」と人々から称賛されることになるのです。
ルネサンスの巨匠3人の強烈な輝きとは一線を画し、ルネサンス後のローマにおいて、時代も場所もはまるべくしてハマったと言えます。
「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのために作られた」
という言葉が決して大袈裟なものでないことがよくわかります。