cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

80年後の終戦記念日

昨年から仕事で熊本に行く機会がとても増えた。熊本に滞在中は菊池市泗水町というところにいるのだけど、実はここは第二次世界大戦と深い関係がある場所だということを知りました。

今年は昭和100年、戦後80年の年。僕がこの年にこの場所にいるというのは何か意味があるのかもしれない、なんて思いながら歩いて近くに散らばる戦争遺産を探してみました。

 

戦時中ここは菊池(花房)飛行場という場所でした。

陸軍飛行隊の基地、飛行訓練学校があった菊池飛行場だったということを知りました。そう言われてみれば、ここは丘の上に広がる台地。広範囲に平らな土地で今では住宅や会社がいくつもある工業団地なのですが、平らな土地に一直線に伸びる道が多く、ちょっと不思議に思っていたのですが、もと飛行場だったと聞くと納得です。

 

菊池飛行場は昭和15年に完成しました。陸軍の飛行学校、通信学校、陸軍病院や観測所もあった熊本最大の航空基地だったそうです。そして昭和20年終戦間近には沖縄戦への特攻隊の中継基地となり、同年5月に大規模な空襲を受け多くの人々の命が奪われた。

ここは特攻兵たちが様々な思いを残して飛び立った場所、空襲で亡くなった多くの人の無念が残された場所、僕のいる場所はそういうところなのでした。

 

下は米軍がここを空襲した際の航空写(くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク資料より)。僕が滞在しているのは真ん中上の方。

歩いて当時の名残を探してみます。

まず、ここは訓練学校、飛行場の正門跡。

正門の門柱と立哨場の六角形の土台部分がそのまま残っています。その先には道がまっすぐに伸びています。

昔はこんな景色だった↓(くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク資料より)。

今はこんな感じです。

 

この写真に写っている木は一部が今でも残っている。

訓練兵や特攻兵の若者達を見守った立派な椎木(シイノキ)は80年後の今も健在。その向こうに見えるのは訓練基地時代の給水塔。

 

この給水塔は率直に建築として美しい。戦争のための施設として作られたものなのだけど機能美を纏った見事な建物だと思いました。以前は生々しい弾痕が残っていたと言いますが、熊本地震の時に被害を受け、修復の時に費用が足らず、その弾痕は覆われてしまったそうです。後で紹介するミュージアムの方が悔しそうに教えてくれました。

 

こちらは僕の菊池市泗水町での滞在場所からほど近い場所にある建物で、以前からこれはなんなんだろう?と不思議に思っていたものの一つ。

「ガソリン貯蔵庫」

横長の建物はとても頑丈に作られていて、現役当時は盛り土に覆われ芝生が植えられていたとか。戦後は入植者の住宅として使用されていたらしい。

場所によってはこんな近寄りがたい廃墟になってしまっているのだけど、とても頑丈に作られていたために解体されず、そのおかげで今も残っている。

 

こちらはもう一つの「何だろう?」。

三角形の巨大なコンクリートの塊は「木造大型格納庫の基礎」でした。

ここから少し歩いたところに、同じような構造物があり、

こんな風(下の写真)にこの二箇所にある基礎部分を木造のアーチ構造の屋根を渡して、格納庫空間を作っていたらしい。

 

聳え立つこの遺産も作りが頑丈なおかげで、今に至ったと言います。これを残せたことは幸運でした。

 

太刀洗航空廠 菊池分廠門柱

ここは福岡の太刀洗航空廠の菊池分廠としても機能していたため、この門柱跡も残っています。その奥に見えるのが、、、

慰霊塔

昭和20年5月に米軍による大規模空襲があったときに、ここで少年飛行兵38名はじめ多くの犠牲者が出たそうです。その人々への慰霊塔がここにあります。

ここまでが、僕のいる場所から歩いて回ることができる戦争遺産でした。胸詰まる思いです。

 

菊池飛行場から少し離れた(車で10分ほど)場所に、「菊池飛行場ミュージアム」という施設がひっそりと存在します。内部撮影禁止のため、中の様子は紹介できませんが、中に入ると決して広くはないスペースに貴重な資料が展示されていました。

ここは戦争の記憶を後世に伝えようという意思を持った市民グループによる運営とのこと。普段は無人とのことですが、たまたま運営の方がおられたのでお話聞くことができました。それによると、行政は今のところ関わってはくれないため、全て寄付による運営になるのだけど、今回紹介してきた戦争遺産の維持費用など、その思いとは裏腹に懐事情は非常に厳しいとのことでした。昭和100年、戦後80年、この戦争の悲惨な記憶は末長く後世まで伝えていかねばならないと思うのですが、現実はなかなか難しいようです。

今、日本は世界が憧れる国となりました。日本人は礼儀正しく謙虚で親切な素晴らしい人々、今世界は日本人をそんなふうに評価しています。

でも同じ日本人が「一億玉砕」を叫んだ戦争の狂気の時代があったわけで、もしかすると日本人のDNAにはそういった狂気が隠されているのかもしれません。

敗戦後に復興して高度経済成長を遂げ、バブルに踊り、バブルに泣き、失われた30年を経て今の日本がある。昭和100年の間、日本人が誇らしいと思えるのはおそらく最近の10年程度でしょう。僕が認識するこの30年の間に日本は良い国になったと実感すします。だからこそあの狂気を呼び起こしてはいけない、そのためにあの悲惨な記憶はしっかり残して後世に伝えて、二度と戦争という狂気を繰り返さないようにする、そんな世の中になっていってほしいものです。

 

ここ菊池飛行場跡は特攻隊として多くの若者たちが飛び立っていった場所。本当ならごく普通の若者達、未来があったはずの若者達がその狂気に巻き込まれて、自ら命を絶つことを強要された。そんな無念がこの場所にはあります。

 

cmn.hatenablog.com

 

 

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com