
<有史以前>
紀元前7千〜5千年(新石器時代) :アジア側に集落が作られた。
紀元前6千〜5千年(青銅器時代) :ヨーロッパ側のトプカプ宮殿付近に居住地が作られる。
という具合に、この土地の優れた地勢は古くから認識されていたようで新石器時代の頃からこの地域には人が住んでいたことがわかっています。
紀元前2千年頃:トラキア人の街
この地に居住したトラキア人(バルカンから移住)が街を形作ったを最初の民族と言われています。
<都市の起こり>
紀元前660年頃:ギリシア人の街
アテネの西にある街メガラから、ビザスという男が率いた一行が、現在のトプカプ宮殿のあたりに街を建設しました。
ビザスは出発前に聖地デルフィで授かった「アポロンの神託」にしたがって、この場所に辿り着き、街を作り自分の名前にちなんで「ビザンス(ビザンティオン)」と名付けます。
<支配の変遷>
ビザンスはその後ペルシア、マケドニアの支配を経て、紀元前146年にローマと条約を交わし、ローマの保護下に入ります。その約300年後の紀元後196年に帝国ローマの領土となり、ビザンスはビザンティウムと呼ばれるようになりました。
<ローマ帝国の首都>
330年 5月11日にローマ皇帝コンスタンティヌスはここをローマの首都と宣言、その名を「コンスタンティノープル(コンスタンティヌスの都)」と改めます。
360年 最初のアヤソフィア大聖堂完成

*大帝コンスタンティヌス 首都遷都を記念して発行されたコイン
<東ローマ帝国>
395年 ローマが東西に分裂して、コンスタンティノープルは東ローマ帝国の首都となります。
476年西ローマ帝国滅亡
537年現在に残るアヤソフィア完成(3代目)

アヤソフィアは当時の最高の建築技術で建てられた美しいキリスト教会でした。その後イスラム教のモスクとなったことから、現在までにたくさんのモスクの手本となりました。
726年 聖像破壊運動(イコノクラスム)

旧約聖書の「偶像崇拝の禁止」に端を発したキリスト教の解釈の対立が、たくさんの美術品の破壊へと発展。当時宗教画は美しいモザイク(イコン)が主流で、この時代多くのイコンが破壊(イコノクラスム)の対象となったのでした。
1204年 第4回十字軍によるコンスタンティノープル占領

アヤソフィアにあった四頭建馬車の像はこの時コンスタンティノープルから持ち去られヴェネツィアのサン・マルコ寺院にファサード中央に置かれている(現在のものはレプリカ)。エルサレム奪還が目的のはずの十字軍がなぜかキリスト教の中心コンスタンティノープルに攻め込み略奪を行うという異常な状態となりました。東ローマはこの時に滅亡したとも言われています。
1261年 コンスタンティノープル奪還ビザンチン帝国再興
コンスタンティノープルは奪還され、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)として再興されるのだけど、国としての力は再興されることはありませんでした。
1453年 コンスタンティノープル陥落(東ローマ帝国滅亡)
この年の5月29日、難航不落と言われたコンスタンティノープルは、マホメット2世のオスマン・トルコに攻略され遂に陥落します。1123年もの間、キリスト教(ギリシア正教)の中心地であり続け、アヤソフィアは約1000年にわたりキリスト教の総本山であり続けました。人によるのだけどこの時が「ローマ帝国が滅亡した時」と考える人も多いようです。
<オスマントルコ帝国>
マホメット2世はコンスタンティノープルを「イスタンブル」と改め、オスマントルコの首都としました。アヤソフィアはモスクとして改装され、のちのモスク建築のスタンダードとなるのでした。
1465年 トプカプ宮殿完成

1520年 スレイマン1世即位
26歳にしてスルタンに即位し、その後オスマントルコの政治、軍事、文化の黄金期を形作る。オスマントルコはエジプトや地中海、ペルシアへと領土を大きく拡大し、ヨーロッパ世界の脅威となるのでした。
1616年 ブルーモスク完成

1718年 チューリップ時代始まり繁栄し凋落へ
オランダで始まったチューリップに天文学的な値段がついた経済バブル。トルコもチューリップに巨額の投資を行い、富を失った。この時期、トルコは元々チューリップが「国の花」だったのだけど、結果的にそのチューリップによってオスマントルコの衰退のきっかけとなり、坂道をりんごが転がるごとく落ちていく。
1798年 オスマン帝国領エジプトにナポレオン軍が侵入
1821年 ギリシア独立戦争敗戦(オスマン帝国支配下からのギリシア独立)
1853年 クリミア戦争(ロシアとの戦争でイギリス・フランスの支援を受け勝利はする)
1914年 第一次世界大戦敗戦国となる
元々は中立国としての意思を示していたのだけど、ドイツ・オーストリアの後ろ盾によって領土拡大を夢見て参戦し、敗戦国としてさらに領土を失うという結果となる。
1920年 トルコ革命開始 (ムスタファ・ケマル・アタテュルクによる)
そんな第1次世界大戦のなかで一人の英雄が生まれました。ムスタファ・ケマルはトルコを近代国家へと導きます。
1922年 スルタン制廃止、オスマン帝国滅亡
<近代国家へ>
1923年 トルコ共和国成立
ここイスタンブル、そしてトルコは「文明の十字路」と呼ばれ、海と陸その優れた地勢から有史以前から人の営みがありました。ギリシア人の都市が起こり、ローマの首都・キリスト教の総本山となったかと思えば、オスマントルコによってイスラム教国家の首都となる。近代は多くの戦争を経験して国として瀕死の状態になるのですが、一人の英雄によって国の大きな変革が行われ、新い国が作られた。
文明の十字路は波瀾万丈の出来事に彩られ、その結果異質な文化にとてもおおらかなお国柄になっているのかもしれません。
現在のイスタンブルはイスラムのモスク、ミナレットが林立する中、東ローマ帝国の名残が数多くみられます。街の外観はとても不思議な印象をうけるのだけど、人々はこの感覚を「エキゾチック」と表現するのかもしれません。どんなルーツの人にとっても誰にとっても異国情緒を感じることのできる場所。
それがイスタンブルであり、トルコである気がします。