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アヤソフィア3 内部

アヤソフィア建設にあたっては、世界中から優れた職人と親方を10000人も集め、ロードス島からは超軽量レンガ、内部装飾のための珍しい色大理石などの石材は地中海世界のあちこちの産地からコンスタンティノープルに運ばれました。さらには内部に使用された円柱の数々は、各地の神殿を破壊してアヤソフィアの内部に据え置かれたものばかり。ほかにもローマや旧ローマ帝国領の各地の著名な建築から円柱や資材がこのアヤソフィアのために奪われ運ばれてきました。

そんなわけでアヤソフィアの内部は不思議な大理石、たくさんの円柱、モザイク画とイスラムのカリグラフィーが溢れ混在している摩訶不思議な空間となっています。

◾️拝廊

アヤソフィア内部に入ると、まず横一直線に伸びる拝廊に入ります。天井は綺麗なモザイクで埋め尽くされ、側壁は各地から運ばれてきた珍しい大理石や円柱がふんだんに使われていて、不思議な空間を作り上げています。

不思議な大理石で構成される壁面、こんな不思議な石が拝廊いっぱいにふんだんに使用されています。

◾️跪くレオ六世

拝廊のほぼ中央の入り口から本堂に入ります。

この「皇帝の門」と呼ばれる入り口はほぼ本堂の中央。入場口の上部にはこのイコンが掲げられています。これはキリストに跪き許しを乞う皇帝レオ六世の様子。東ローマ皇帝がキリストに跪く様子は、キリスト教国家となった東ローマ帝国を象徴するような題材です。このイコンはイコノクラスムのすぐ後の9世紀に作られたと言われ、イコンとしての質はあまり良くないと言われています。これはイコノクラスムのあと腕の良いイコン職人がいなくなってしまったためだと言われているですが、この出来の悪さがまた「キリストに跪く皇帝」の背景を表しているようで秀逸です。

皇帝がキリストに跪く様子

◾️天から吊るされるドーム天井

本堂に入ると巨大な空間に圧倒されます。「天から吊るされている」ような中央のドーム、それに続く半円蓋の連なりはアヤソフィアの建築技術の結晶であり、この超困難な構造を実現したことで、アヤソフィアは「奇跡」と呼ばれることになるのでした。

でも実際にここを訪れると技術的な事柄以上に「巨大なドームが浮いている」というような不思議な感覚に囚われるのです。

かつてドーム中央にはキリストのフレスコ画が描かれていました。

*イコノクラスム以降のアヤソフィアの天井の様子(ハギアソフィア A Turizm Yayinlari出版より)

コンスタンティノープルがオスマントルコの支配下になってアヤソフィアがモスクに改装されてからもしばらく残されたキリスト像は、18世紀にコーランの光の章の1節が書かれているカリグラフィ(アラビア文字)に書き換えられました。

それにしてもドームの形は随分歪んでいるのがわかります。

*モスク改装後のアヤソフィアの天井の様子(ハギアソフィア A Turizm Yayinlari出版より)

◾️皇帝戴冠の場所

この御影石や赤や緑の斑岩、蛇灰岩などの石で飾られるこの装飾は「オプスアレクサンドリナム」と呼ばれ宮殿などで広く知られるもの。ここは代々東ローマ帝国皇帝の戴冠が行われた場所です。当時は東ローマ皇帝の立つ場所が世界の中心とされていました。

キリスト教を公認した大帝コンスタンティヌス1世は自らは洗礼を受けなかったと言います。皇帝がキリスト教徒になるということは「ローマは皇帝が統べる国家ではなくなる」ことを理解していたためです。しかし後に続く皇帝たちは洗礼を受けキリスト教徒となった。これはキリスト教が巧みに国家中枢に入り込んだ結果で、392年ついには皇帝テオドシウス1世がキリスト教をローマの国教と定めたことによって、ローマ皇帝はキリストの僕となったのです(キリスト教は400年をかけて勝ち取った)。

 

◾️「世界の七不思議」の神殿の円柱

アヤソフィアに使われた大理石のなかには遠くフランスの大西洋岸から運ばれたものもあり、円柱や柱頭はヨーロッパ、オリエント世界の各地から運ばれました。特に身廊に並ぶ青緑のコリント式円柱は、古代世界の七不思議のひとつと言われるエフェソスのアルテミス神殿から運ばれた(諸説あり)。

 

僕がアヤソフィアへ訪れた当時、フィルムの一眼レフとその当時出たてのデジカメで写真を撮っていたのだけど、当時のデジカメはまだまだ性能が低かったので、全体的にデジカメの写真は良い写真が残ってない(残念)。

なので
現地で購入した絵葉書で代用します。エフェソスのアルテミス神殿から運ばれたと言われる円柱。

*イスタンブルで購入した絵葉書より

◾️湿った柱

アヤソフィアの入り口近くにある不思議な柱で、名前のとおり常に湿っています。

創建当時から聖ゲオルギウスの幻が現れた奇跡の柱として有名だったそうで、「皇帝ユスティニアヌスがこの柱に頭をつけたら頭痛が治った」と言われており、この奇跡の柱の最初の御利益は「頭痛を治す」だったそうです。

今では、柱に触れると子宝に恵まれるとか、親指を柱に当て、手を一回転すると幸福になるとかいろいろ言い伝えがあって、アヤソフィア観光の定番ポイントとなっています。僕も実際に試してみました。確かに湿り気があるとても不思議な感触でした(今でもはっきり覚えています)。これまで、きっとたくさんの人が触れ、ぐるぐる指を回しただろう柱の中心はへこんでいます。

◾️キリストに捧げる

アヤソフィアの出入り口の一つ「車寄せの門」と呼ばれるここに有名なモザイク画があります。

この門の上にあるモザイク画、中央に聖母マリア抱かれるイエス・キリストが描かれています。その左にいるのが皇帝ユスティニアヌスで、手にしているのはこのアヤソフィア。そして右にいるのは大帝コンスタンティヌス1世で、手にしているのはコンスタンティノープルの街。

「二人偉大なローマ皇帝が奇跡の建物と、首都であるコンスタンティノープルの街をキリストに捧げている」という構図です。

ユスティニアヌスの背後には「輝かしき追憶の皇帝」、コンスタンティヌスの背後には「聖人の中の偉大な皇帝」と記されています。このイコンが描かれたのは10世紀後半と言われます。コンスタンティヌスが生きた時代から800年、ユスティニアヌスの時代から400年ほどが経った後に生まれた作品ですが、先に紹介した「キリストに跪く皇帝レオⅥ世」のモザイクと言い、時代を象徴するこれら作品からは、このころまだキリスト教の権威は確立されておらず、こういったモザイクを通じてその地位を固めつつあった時代だったことが想像されます。

*現地ガイドブック「ハギアソフィア A Turizm Yayinlari出版」より

◾️アヤソフィアの光

アヤソフィアの堂内は、効果的に配置された窓からの光が黄金色の聖堂内壁に反射して、とてもやわらかい光を聖堂内に満たします。アヤソフィアの内部は創建当時、「湧き出るような光に満ちていた」という記録が残っています。

 

◾️アヤソフィアの内側考

元々、ローマ帝国が地中海世界一帯を支配していた頃から、ビザンチオン含むオリエント(東方世界)には富が溢れていたといわれ、共和政ローマで執政官を終えて属州総督として派遣される地域がオリエントならもうひと財産築くことができるくらいな、裕福な地域でした。なのでその芸術的嗜好もギリシア・ローマのシンプルで究極なものとは違い、宝石が散りばめられたド派手なものを好む。コンスタンティノープルはその交差点にいて両方の要素を持ち合わせるのだけど、建築はギリシア・ローマが好みの僕にとっては少々どぎつく感じるところがあります。

アヤソフィアを建てた皇帝ユスティニアヌスは、ローマ帝国各地の神殿を破壊し、その大部分を建築資材としてアヤソフィアに用いました。後世に生きる僕たちにしてみれば貴重な歴史的建造物に対して「なんてことをしてくれたんだ!」と憤るわけだけど、当時熱心なキリスト教徒だったユスティニアヌス帝にしてみれば、かつてのローマの神殿などは異教の建物でありそれらを破壊することにはなんの躊躇はなかったと思われる。

アヤソフィアの、建築としての独創的な構造や外観と対照的に、内部を飾るのはヨソからの移植されたド派手な装飾と円柱だったというのはやや興醒めしてしまう面もある。

でも、そういう時代だったということにしよう。

第4次十字軍によって略奪され今はベネツィアにある4頭の馬のブロンズ像もアヤソフィア建設の時にギリシアのどこかからか奪ってきたものではある。エフェソスのアルテミス神殿だって、もしそのままだったら何も残らずに失われたかもしれない、どうなっていたかわからない。その一部でもアヤソフィアにあれば、失われるはずだった過去の偉大な遺産を見ることができる、と考えることにしよう。

 

*アヤソフィアの庭

 

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